「実は西島さん、この映画の製作がスタートする直前、お母様を亡くしているんです」
母がこの世を去ったのは2019年11月。79歳だった。
「重い膵臓の病気だったそうで。都内の病院をいくつも回って、なんとか手術をして。一度は自宅に帰って生活できるくらいになったんですが、1年もたたないうちに再入院に……」(同・知人)
父は“病院に通いやすいように”と東京郊外の一軒家から、都心に住む西島の家の近くに引っ越したという。
「西島さんも一緒に、つきっきりで看病していたんですが、結局……。葬儀には友人や知り合いも呼びませんでした。ごくごく近しい身内だけで」(同・知人)
東京都心にある墓園─その一角に植えられた梅の木の下に、西島の母は眠っている。
「“樹木葬”でね。“お墓のお掃除だとかで、家族に負担をかけたくない”というお母様の、たっての希望だったそうです」(同・知人)
私事を仕事に持ち込まない
西島は“プライベートを明かさない”俳優として知られている。2014年には16歳下の一般女性と結婚。2児の父でもあるが、雑誌のインタビューやテレビ番組などで家族4人での生活について自らつまびらかにしたことはない。妻子だけでなく、両親やきょうだい─自分の家族に言及することも避けてきた。
「“私事を仕事に持ち込まない”そして“家族に迷惑をかけない”というのが西島さんのポリシー。だから、お母様が亡くなったことも内緒でした。四十九日法要がすんだかすまないくらいで『ドライブ~』の衣装合わせや台本の読み合わせが始まったんですが、そのことは共演者やスタッフに伏せたまま、普段どおり仕事に臨んでいました。でも撮影中、どうしてもお母様のことが頭に浮かんだんじゃないかな。最愛の家族を亡くした役ですから……」(同・知人)
西島が大学時代まで両親と過ごした街を訪ねた。
「秀俊君は“ニックン”と呼ばれていましたよ。中学校までは野球をやっていて勉強もできた。2つ年上のお姉さんも美人で運動も勉強もできてね。姉弟で地区の学年リーダー。お姉さんはたしか……ビール会社の子会社の社長さんになったなんて聞きましたよ」(近所の住民)