26年ぶりに受けた“罰”
降板はしない宣言、そこからの遅い辞任発表等、今回の小山田の対応には批判が多い。彼の対応はどう見たか。
「最終的に彼は辞任しましたね。それは当然のことだったと思いますし、結果論ですが今回このような形で問題が明るみに出たことで、いじめからは40年ぶり、記事が出てからは26年ぶりに彼は“罰”を受けることになりました。それも当分の間、もしかすると一生、活動を自粛しなければならないような罰です。
オリンピック・パラリンピックの音楽のオファーがきた時点で、彼は辞退するべきでした。それをしなかったのは、“いじめ自慢”の記事はもう何十年も前のことで、ネットでは叩かれたものの、これといった活動に支障はなかったためでしょう。完全に“ナメていた”のだと思います。
あの記事が出たときにはインターネットは黎明期で閲覧人数は少なく、いわゆる“炎上”はしていなかったことも判断を誤らせた。もしかすると、彼は一生、表舞台での音楽活動ができなくなったのかもしれません」
今回の件について、ライターの村上氏が所属する太田出版、編集長だった赤田氏の個人メールアドレス、赤田氏が現在、編集を務める雑誌それぞれに問い合わせたが、すべて期日までに回答はなかった。
開会式は7月23日に無事に執り行われたが、小山田はどのような気持ちで3時間を超える式典を見ていたのだろうか……。