8月17日、ジャニーズ事務所の名誉会長を務めていた藤島メリー泰子さんが亡くなっていたことが発表された。
「8月14日に、娘で現社長の藤島ジュリー景子さんら親族に見守られて息を引き取った。発表されるまでの間に、タレントたちは最後の対面をし、葬儀・告別式もすませたそうです」(スポーツ紙記者)
ジャニー喜多川さんに続いて、ジャニーズ事務所の“創業者”が2人ともいなくなってしまった。
「1962年にジャニーさんが事務所をつくって以来、姉弟2人でたのきんトリオ、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐など、多くのスターを輩出してきた。メリーさんはタレントの教育、会社経営など、管理面での実務担当をしていました」(同・スポーツ紙記者)
以前から一部のメディアで車いすに乗る姿が報じられていたが、ずっと体調が悪かったわけではない。
「昨年から入院していましたが、病院にいるのと、自宅にヘルパーが通うのと半々で入退院を繰り返していた。でも、亡くなる4~5日前も元気だったそうです。日常的に車いすを使うようになったのはつい最近で、短い距離なら普通に歩いていましたよ。先月には友人たちと食事に行き、肉も魚もしっかり食べていたそうです」(テレビ局関係者)
元NEWS手越もメッセージを
明るく前向きな性格で、時に厳しく叱るメリーさんは、多くのタレントから“母”として慕われた。そんな彼女の訃報に、元NEWSの手越祐也も心を痛める。
「ジャニーズ事務所では、大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈りしています。ありがとうございました」
40年来の友人だった、TBSの石井ふく子プロデューサーも声を詰まらせる。
「定期的にファクスで近況報告をしていました。手書きの文章で、なぜかわかりませんが、私は“Pさん”と呼ばれていたので、ファクスにはいつも“Pさんへ”と書かれていました(笑)。なにかあると、手書きのファクスを送ってくれて、私の誕生日会にも顔を出してくれました。メリーさんはよく“あなたがいるから私も頑張れるのよ”と言っていました。そんなふうに、ざっくばらんに話せる方が亡くなったのは、本当に悲しいですね……」
多くのメディアで“女帝”と称されていたように、ジャニーズ事務所では厳しい姿を見せることが多かった。