「“もらおうか”と言って飲んでくれたんです。それだけでうれしくてね。20分後、またお茶を持っていくと“もらおうか”って。普通、“バカ、お茶ばっかり飲んでいられるか”と一喝されてもおかしくないのに、そのやさしさね」
そんな泥くさい人間が、高倉さんは好きだったのだろう。'64年、映画『いれずみ突撃隊』で初共演した際には、乗馬経験のない小林さんに「稔侍、俺が練習つけてやるよ」と言ってもらえるまでになった。1年ほど後には、呼び名は「稔侍」に格上げされていた。
そのころから、小林さんは高倉さんと毎晩のように夕飯を食べる間柄になっていく。
先輩である高倉さんに、あれこれ気働きをしようとすると「俺の付き人のようなことはやめろ」と、釘(くぎ)を刺された。
食事は2人きりのときもあれば3人、4人のときもあった。高倉さんも小林さんもさほどお酒は飲めない。
高倉さんはお猪口(ちょこ)に3杯程度、小林さんは1杯が限界。あるとき、一緒に食事した人が「健さんって、お酒飲めないんですよね」と言ったら、怒ったように「稔侍のほうがもっと飲めないですから!」と反論したという。
小林さんも負けず嫌いだ。
高倉さんは高校でESS部をつくるなど英語が話せたことから、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』に出演したことがある。そのときのことが話題にのぼった。
高倉「監督がさ、俺の英語は“パーフェクトだ!”って言うんだよ」
小林「へ~」
高倉「でもさ、俺の英語は下町風だって言うんだよ」
小林「それは品がないということじゃないんですか?」
ほかの俳優が言わないことを口にする後輩が高倉さんにはかわいかったのだろう。
不器用だけど、律義で、含羞を持っている
'70年に小林さんが結婚したときは、高倉さんが保証人になる。長男が生まれると、小林さん自ら「健」と命名。長女には高倉さんに名づけ親をお願いし、「千晴」とした。
その小林健さんによると、当時は東京・町田市にある団地に住んでいたという。
「深夜になると町田駅からのバスがないので、タクシーに乗りたいけど、そのお金でちょうどミルクが買えたんです。だから約40分を歩いて帰ったというんです」
そんな経済状況を知っていた高倉さんは、映画『冬の華』で共演した際、粋な計らいをした。小林さんは京都撮影所に行く必要があったのだが、「これを着てこい」と洋服をプレゼントしてくれた。
「夜、京都に向かう新幹線の窓に、健さんからいただいた洋服を着た自分が映るわけです。これがなければ、俺は何を着てきたのかなと思うと、目頭が熱くなりましたね」
『冬の華』は、小林さんのセリフはなかったが、演技だけで記憶に残る芝居をしたと、新聞などから絶賛された。
高倉さんから芝居の奥義を聞いて、それが役立ったのかと思うが、そんなことはなかった。この作品だけに限らず、長い付き合いの中で、高倉さんから芝居に関するアドバイスをもらったことはほとんどなかったという。
「高倉さんと食事をしながら話していたとき、“なあ稔侍、(芝居で)人を泣かせるのに、(役者である)自分が泣いてちゃしょうがねえよな”と、ぼそっと言ったことがあって。そうだなと思って参考にしたことはありますが、こういうことってすごく珍しい。僕が感じるのはもっと感覚的なこと。口で言うのは難しいんだけど、自分にとっては進むべき道を照らし出してくれる灯台のような人でした」
それにしても、人と群れない高倉健さんが、なぜ小林さんとはこれほど馬が合ったのか。小林さん自身もはっきりとしたことはわからないというが、不器用だけど、律義で、含羞を持ち合わせているからではないかと思うのだ。
小林さんらしいエピソードがある。
黒澤明さんが、『影武者』や『乱』といった作品のオーディションを始めたころだった。知り合いの俳優がこぞって受けに行く中、小林さんは行かなかった。
「落ちこぼれの俺を、深作さんはあれだけ面倒を見てくれたからね。端役が多かったけれど、映画『新仁義なき戦い 組長の首』では主人公の弟分役に抜擢(ばってき)してくれ、世話になっているんです。ほかにも深作さんに世話になった俳優もいたんだけど、オーディションを受けに行っていました。
受けに行くのはいいんです。気持ちもわかる。でも俺は、深作さんが寂しがるかもしれないことはしたくなかった。俺はちょっと性格が曲がったところがあるのか、“1人ぐらい黒澤組のオーディションを受けに行かないやつがいたっていいじゃない”って思ったんですよね」
同じころ、小林さんは自主映画にも出ている。'80年公開の『狂い咲きサンダーロード』。監督は当時、日本大学芸術学部在籍中だった石井聰亙(現・岳龍)さん。
「小林さんが、スクリーンの隅っこで頑張る姿を見て、出演してほしいと思いました」
と語った、石井さんの言葉に心を動かされた。
「俺がねらっていることを、こいつはわかっているな、と思ってね。どんな役でも、ワンカットでもいいから納得できるものが撮れていれば、それでいいと思って演じていたから」
この2つのエピソードは、小林さんの仕事への姿勢をよく表している。