寝不足でも毎朝作った“卵焼き”
親たちと距離を置きながら、彼女は小説を書き始めていた。1冊にまとめて自費出版した現代詩集を同人誌『北海文学』に送ったところ、主宰の鳥居省三氏の目にとまり「小説を書きなさい」と言ってもらったのだ。彼は、桜木が密かに読んで感動した『挽歌』を世に出した人物でもあった。
「それからは小説を書いては同人誌に載せていたんですが、文学じゃない、小説じゃないと批判されていましたね。鳥居先生に相談したら、商業誌に応募してみればと言われて」
2002年、37歳のとき『雪虫』で第82回オール讀物新人賞を受賞した。そのころの桜木について、夫の敏博さんはこう言う。
「詩や短歌を書いていたのは知っています。地元の文芸誌に載ったときは、小説も書いているんだなとは思っていました。私が仕事に行っているときに書いていたんでしょうね。ふたりの間ではまったくそういう話をしたこともありませんでした。私は彼女が書いたものは一切読みませんでしたし、読むと何か言いたくなっていたかもしれませんね」
桜木は、「読んでいないのはいちばんいい応援方法かもしれません」と言う。これまで、夫に「書くな」と言われたことは1度もない。
子どもファーストだった妻のことを、夫はよく覚えている。いつもお弁当をちゃんと作り、子どもに「大好き」とストレートに言っていた。だが桜木は、「自分のことで精いっぱいで母親らしいことをしなかった」とつぶやく。
「子どもたちに望んだのは元気でいてくれればそれでいい、好きなことを見つけてくれればもっといい。それだけですね。ただ、好きなことをしろと言いすぎるのも呪縛になると思っていました。私ができるのは、寝不足で朦朧(もうろう)としながら毎朝、卵焼きを作ること。砂糖と塩とマヨネーズを入れた卵焼きが、うちでは揺るぎない母の味なんです(笑)。今は子どもたちも家を離れていますが、ときおり来ると卵焼きを持って帰ります」
子どもの前でケンカはしないと夫婦で決めていた。だが、敏博さんによれば、どんなにたわいないことであっても、桜木は言葉できちんと説明しないと納得しないところがあるという。
「具体的な事例が思い浮かばないんですが、些細なことでも意見が違うと、なぜそう思うのか、どうしてそういう言葉を使ったのか何度も聞かれる。翌日は朝から会議なのに、未明まで向き合って話し続けたこともありましたね」
他人である夫婦が家族になるため、とことん向き合うことを要求したのだろうか。
「私が書きたいのは官能ではない」
小説を書き始めて3、4年で新人賞をとったものの、そこからが桜木の試練の始まりだった。デビュー本がなかなか出せなかったのだ。
「官能派と言われていたけど、私が書きたいのは官能ではないと気づいてもいました。当時、母に『いつ本が出るの? みんなに言っちゃったの。恥ずかしいから早く出して』と言われたことがあるんです。実家にはあまり寄りつかなくなっていたけど、まったく会わないわけでもなかったので。私、書くことへの原罪みたいなものを抱えていたんだと思う。新人賞をもらってホッとしたら、そんな状況になっちゃってつらかったですね。そのころはけっこう毎日お酒を飲んでいて、このままいったら危険かもしれないと自分でも思っていました」
その後、彼女の担当編集者のひとりとなったのが、KADOKAWAの鈴木敦子さん(43)だ。当時、彼女も転職して間もない時期。前任者から桜木の担当を任されることになった。
「お会いしたとき、桜木さんは単行本を2冊出版されていました。作家さんとしては、『これから』の可能性を秘めた人。官能シーンの人気は高かったですが、いちばん書きたいのはそこではないのだろうな、というのは、お話をうかがっていて感じました。『求められる期待にこたえたい』というまじめさと、『表現したいこと』の間で揺れ動いていたのだと思います」
ただ、桜木の「やる気」には気迫があったという。
「次はどういうお話にする? 締め切りはいつにする? と、先におっしゃるんです。特に締め切りは、話題にするのに編集者がとても神経を使うのに、自分から。前向きで、成長したいという思いが強い。そして誰よりも努力する。ものすごいパワーです」