手術は成功したが、彼の右半身には麻痺が残ってしまうことに─。
「手足の運動機能はそれぞれ反対の脳がコントロールしているので、福助さんの場合は左脳にダメージを受けたのでしょう。左脳は言語や計算などを司っているため、日常生活に影響が出る人も多いです」(石川医師)
息子との「W襲名」という夢
すでに発表していたダブル襲名は無期限延期に。福助はリハビリで運動機能の回復を目指し、そのかいあって'18年9月には舞台復帰を果たす。
「復帰時の演目は『金閣寺』。座ったままの役でセリフも少しでしたが、4年10か月ぶりに舞台へカムバックしたことは話題になりました。関係者の中には“復帰は難しい”と語る人もいましたからね」(前出・松竹関係者)
本誌が復帰直後に話を聞いたときは「頑張ります! 応援してください」とコメントをくれた。
しかし、その後は表立った動きが少なくなってしまう。歌舞伎評論家の喜熨斗勝氏は、福助が抱いていたであろう複雑な心情を思いはかる。
「彼は口数の少ないつつましい性格ではありますが、芸に関しては妥協を見せません。自分に厳しい面を持つ方ですから、闘病中の身では歌右衛門という大名跡を継ぐことはもちろん、人前で芸を披露するのもためらってしまうのかもしれませんね」
精神的に追い込まれた時期があったのかもしれないが、近年は完全復活の兆候を見せていた。
「昨年12月の国立劇場『鶴亀』に出演。今年3月には『中村福助 児太郎 今ここにいること』という舞踊と長唄の配信を行うなど、積極的に活動していました。振り返れば、今月の舞台に立つための布石だったように思えますね」(スポーツ紙記者)
元松竹の宣伝マンで芸能レポーターの石川敏男氏は、福助はコロナ禍で大打撃を受けた歌舞伎界を見て奮起したのではないかと考える。
「ハンディキャップがある福助さんにとって、コロナ禍に活動を活発化させるのはとても危険なこと。それでも舞台に立つということに、彼の歌舞伎への強い思いを感じます。そして、歌舞伎座で歩みまで見せたのは、現在止まってしまっている“ダブル襲名”という夢をまだ諦めていないという意思表示なのかもしれませんね」