最高視聴率41.9%――。

 1978年1月から1989年9月まで、およそ600回の放送の平均視聴率はなんと20%越え! 日本の音楽番組……いや、テレビ番組史上に金字塔を打ち立てたであろう『ザ・ベストテン』。「思い出に残っている音楽番組は?」と問われて、この名番組を挙げる人も、きっと多いはず。

「当時は、アナウンス部もスポーツ局も僕がベストテンをやることに大反対でしたが、1時間の生番組はスポーツの実況と同じようなものですし、やってみることに決めたんです。何よりも黒柳徹子さんとご一緒できたのは財産になりました。彼女の頭の回転スピードについていくことが仕事でしたね」

『ザ・ベストテン』の裏話

 そう振り返るのは、黒柳徹子さんとともに、1986年10月から約2年半にわたり司会を務めた元TBSアナウンサー・松下賢次さん。生放送ゆえにベストテンの中継はハプニングが多く、スリリングだったと明かす。

「とにかく忙しい番組。1時間の生放送の間に、スタジオだけでなく中継もある。一人(一組)4~5分×10曲を、絶対に1時間に収めなければいけない。番組冒頭、僕が『こんばんは松下賢次です』とあいさつした途端に、フロアディレクターから巻きのサインがでるような番組。早すぎるだろって(笑)」(松下さん、以下同)

 伝説と言われる、“松田聖子が飛行機のタラップを降りて歌う回”では、こんな裏話があったそうだ。

「飛行機が飛ばなかったら? 飛行機が遅延したら? 早めに到着したら? あらゆる事態を想定し、100通りの演出プランを考えたと聞きます。松田聖子さんの着陸いかんによって、前後に登場するアーティストのタイムスケジュールも変わってしまう……たった5分のズレが命取りになってしまう。

 毎週、そんな生放送をしていたものですから、タイムキープをしなければいけない僕やフロアディレクターはもうヘトヘトになる。ところが、その様子を見て黒柳さんはケタケタ笑っている!(笑)

 黒柳さんは生放送に慣れているし、テレビの黎明期を知っている方。ですから、普通にやっても面白くない、アクシデントこそが面白いと楽しんじゃう人なんですね

 やってみたら本当にスポーツの現場に似ていた――。スポーツで養った経験がベストテンの司会でいきたと笑う。

「スポーツは、実況の隣に解説者がいる。その解説者に何を語らせるかが、実況をするアナウンサーの腕の見せ所。黒柳さんにどう楽しくしゃべってもらうか……まさに黒柳さんが解説者、僕が実況アナという役割で、すんなりいけたんです」