ベストに導く魔法のパッション

 初戦は7月27日のフランス戦。ホーバスHCは「勝てる」という確信のもと、重圧のかかる一戦に挑んだ。長身軍団・フランスに対抗すべく、じっくり分析・研究を重ね、対策を講じた。第1クオーターこそ先手を取られたが、そこから細部にこだわった日本のバスケが炸裂。74―70で競り勝った。

 主将・高田が語気を強める。

「トムの言う“細かい部分”をしっかりやっていれば勝てると思っていた。初戦白星で勢いに乗れたと思います」

キャプテンの高田選手と栄光を分かち合うホーバスHC
キャプテンの高田選手と栄光を分かち合うホーバスHC
【写真】颯爽としたドリブル姿! トヨタ選手時代のホーバスさん

 続く30日のアメリカ戦は敗れたものの、8月2日のナイジェリア戦はスコアを100点の大台に乗せて大勝。日本自慢の3ポイントシューターである林が23点、宮澤が19点をそれぞれ奪い、高田も15点をマーク。「取るべき人が取るバスケ」を堂々と実践し、決勝トーナメントまで勝ち上がった。

 そして冒頭の準々決勝・ベルギー戦。日本は一進一退の攻防を繰り広げ、最後の最後で難敵をねじ伏せた。

 特に3ポイントを7本沈めた宮澤の働きは光っていた。

「アース、戻ったね」

 劇的勝利の直後、ホーバスHCに言葉をかけられた彼女は心底、うれしく感じた。

「自分としてはすでに戻っていた感覚でいましたけど、トムさんは基準が高いんで、絶対に認めてくれなかった。印象を変えるにはものすごい努力と結果が必要。『やっと認めてもらえた』と思えて、ホッとしましたね」

 重圧のかかる五輪本番でベストを出せたのは、宮澤1人ではない。五輪落選危機から這い上がった町田も、3ポイントが入らず自身の存在価値がわからなくなった林も、最年長ながら容赦ない苦言を浴びせられたキャプテン・高田でさえも、常人の想像をはるかに超える努力を続けた。トム・ホーバスという情熱家に突き動かされなければ、未知なる領域にはたどり着けなかっただろう。

 佐藤HCはこう評する。

「日本人指導者だったら『金メダルを取るんだ』と4年間、言い続けられたかどうかわからない。トムのブレない信念が偉業達成の源だったと確信しています」

 愛する家族からも献身的なサポートを受けて戦ってきたホーバスHC。ベルギー戦後には妻と子ども2人が抱き合ってジャンプする動画が届き、五輪直後には大好きな緑色の風船やバスケ記事の載った新聞が一面に飾られた東京の自宅でサプライズパーティーも開かれた。

「五輪で6kgも体重が落ちたよ。こんなの初めて」と本人は壮絶な戦いを振り返ったが、人生最高の興奮と感動を味わったのは確かだ。

 120%の力を出し切った表彰式後のロッカールーム。全員が笑顔と涙でもみくちゃになりながらハグを交わし、あちこちで記念写真を撮影。最後に1人1人が壁にサインして、「ほら、トムもサインして!」と選手にせがまれた。

 栄光を分かち合う瞬間、何を思ったのか──。その問いに、ホーバスHCは静かにつぶやいた。

「旅が終わった──」

 壮絶な大舞台で歴史的快挙を成し遂げた選手たちはメディアで引っ張りだこ。いま、女子バスケは大ブレイク中だ。

「コーチはメダルをもらえないんで、手元には何もないんですよ(笑)。でも、女子バスケが注目されて、憧れの存在になるのはホントうれしいことだよね。みんながテレビに映ると、“うちの選手、面白いでしょ?”って誇らしい気持ちになる」

 3年後には2024年パリ五輪が控えている。高田らはホーバスHCの志を受け継ぎ、もう先を見据えていた。

「次は金メダルを取りたい」

 興奮冷めやらぬ9月21日。次の五輪に向け、ホーバスHCが男子代表の指揮を執ることが電撃発表された。

「東京が終わっていろいろ考えて、この道が面白いと思った。たぶん、みんな知ってると思うけど、私は熱い人。こういうチャレンジがホントに好きです」

 22日のオンライン会見にサンディエゴから参加したホーバスHCはやる気に満ちていた。男子代表は東京五輪こそ開催国枠で参戦したが、アジア予選突破は1976年モントリオール大会まで遡る。45年もの間、破れなかった壁を突破するのは至難の業だ。

 だが、NBAで活躍中の八村塁(ワシントン・ウィザーズ)ら世界的タレントも育ってきていて、伸びしろは大いにある。やりがいのある大仕事になるのは間違いない。

「4年前、女子のヘッドになって『金メダル』と話したんですよ。でも今回は、簡単に高い目標は言わない。

 女子のチームでは、選手たちが僕のことを信じ、尊敬してくれた。私も選手を信じ、尊敬した。そこがいちばん大きかった。それは簡単にできないから。

 男子とはまず、そういうリレーションシップをつくります。それぞれの選手の気持ちや信じる力、努力のレベルとか一から勉強したい。女子が五輪でやった日本らしいバスケをすれば、必ずレベルアップできる。ホントに楽しみです」

 “リレーションシップ(関係性)”。その土台こそが奇跡の原動力になると証明した名将は、今後も自ら信じる方向へ力強く突き進んでいく。

 チャレンジング・トムの新たな旅が始まった。

(取材・文/元川悦子)

もとかわ・えつこ サッカーを中心としたスポーツ取材を手がけ、ワールドカップは'94 年アメリカ大会から'18 年ロシア大会まで7回連続で現地取材。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃』(1~4巻)、『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』ほか