例えば、思いがけない出来事に対する驚きと狼狽、政治家や大学教授の出世欲、国民を心配する正義感、真実を書きたいジャーナリスト精神、仕事に没頭するあまり妻子と別居することになってついには離婚を切り出される家庭問題などはいささかドメスティックすぎるように感じる。だがそれこそが『日本沈没』が多くの人に見られ続けている要因といえそうなのだ。

 SF的な世界観の中で極めてリアルな人間たちの判断と行動を描いた『シン・ゴジラ』のように見せながら、実のところ『日本沈没』が目指すもの、それは近年の日曜劇場の最大ヒット作『半沢直樹』である。金融の世界を舞台に野心あふれる人物たちが互いの裏をかきあいながら出世の道を歩んでいく、あの痛快なドラマだ。

まるで「半沢直樹」のような1コマ

『日本沈没』第3回で、どちらかというと経済優先の考えに賛同する官僚仲間の常盤(松山ケンイチ)に「あのビルのひとつひとつにたくさんの人がいて、そのひとりひとりに大切な家族がいるんだ」とそびえ立つ東京のビル群を見つめながら語る天海の言葉はまさに“半沢直樹”だった。『半沢直樹』(2013年)のシーズン1第5話で半沢(堺雅人)が街の灯を見ながら言った言葉は「あの小さな光のひとつひとつのなかに人がいる。おれはそういう人たちの力になれる銀行員になりたい」とそっくりではないか。

 この世のすべての生きづらさは人々の上に立つ者たちの愚かな行為によるものであり、それを変えようと主人公・天海は立ち上がる。この流れが気持ちいい。『日本沈没』のキャッチコピーは「信じられるリーダーはいるか」だ。選挙の時期にこのコピーは印象的だった。選挙が終わった今もわれわれはヒーローやリーダーを求めている。生きづらい世の中を変えてくれるリーダーを。

 多くの官僚たちが「経済が止まったらこの国は死ぬ」と言う里城副総理(石橋蓮司)の考えに従うしかない。迂闊に日本の危機を公表できないという上層部の迷いもわからなくはないが刻一刻と迫る危機を国民が何も知らされないということは国の危機に犠牲は致し方なしという考えに等しくはないだろうか。

 里城は財界の要人に機密を漏らし秘密裏に首都圏の土地が売られ始める。権威とは誰か犠牲にする権利を持つものなのか。現実世界にもこれに似た不安をわれわれ国民は何度も経験している。