店を閉めたあとも光浦・大久保のふたりは
「2年前の暮れに主人が倒れて、それを機に店を閉めたんです。(夫は)倒れてからは、高齢者施設にいます」
─かずこさんは、お店を閉めることについて何か言っていましたか?
「“お母さんたちは十分働いたんだから、あとはゆっくり暮らしたら”って。だからもう、お店をやろうとは思ってないです。従業員も続けましょうと言ってくれたけど、お店の備品も全部業者に買い取ってもらっちゃったのよ」
オープン当時は40人ほどが座れる広い食堂だったものの、近年は店舗の規模を縮小して営業を行っていた。
「オアシズの大久保(佳代子)さんや光浦(靖子)さんはロケで来てくれましたし、『A-Studio』でも(笑福亭)鶴瓶さんが、娘の話を聞くために足を運んでくれましたね」
鶴瓶が来店したのは'18年の秋。このころにはすでに閉店を考え始めていたのか、母親は鶴瓶にこんな悩みを打ち明けたという。
「“お店は大変だから、もうやめたいわ”と愚痴を言ったら、鶴瓶さんは“お店は続けなあかんよ、頑張って”と励ましてくれましたね」
ロケで訪れた芸人たちとは閉店後も交流が続いている。
「店を閉めてからも、大久保さんや光浦さんは“お母さん大丈夫? 元気でやってる?”と連絡をくれましたよ。娘もこのあたりでロケがあるときは泊まっていきます。コロナ以降も5回くらいは来たんじゃないかな?」
と、娘に会えることがうれしいようで、これまで以上の笑顔に。最後に娘さんのおめでたい話はある? と聞くと、笑いながらこう答えた。
「もう、全然ダメ! 親戚が紹介したり、森三中の大島さんのお母さんには3回くらい縁談を取り持ってもらったけど、全部ダメでした。本人は、一生独身って言っていますね(笑)。どうも男性が苦手みたいで……」
突然の訪問にもかかわらず、最後は笑顔で記者を見送ってくれた。
「実は今年3月に、レギュラー出演していたテレビ埼玉のバラエティー番組『#いたくろここなのオンとオフ』で、実家の食堂が閉店したことを明かしていました。番組内で“報告することがある人は名乗り出てください”と、出演者たちがプチ暴露をするくだりがあったんです。そこでサラッと“バレたか~。実家の飲食店、閉店しました!”と黒沢さんが告白したのですが、地方局の番組だったためか話題になりませんでしたね」(お笑いライター)
最後まで実家を心配していた黒沢。44年間食堂を切り盛りしてきた両親のために、今度は黒沢が名物のポタージュラーメンを振る舞ってあげる番かも……?