「プロになるには、当時のマジック界を牽引していた初代の引田天功さんに会うしかないなと。それで天功さんが主宰していた『ハトの会』に顔を出しているうちに、自宅に遊びに行けることになったんです。プロで食えるようになりたいと相談したら、“一流になる気がないなら、みじめになるだけ”と言われてしまって……。一流になるにはどうすればいいかと考えた結果、世界大会で優勝することだろうと思い至り、マジック大会に片っ端から参加しました」
東海地区での優勝を皮切りにとんとん拍子で日本代表になったマリック。21歳で世界大会で優勝するも、そこで大きな挫折を経験することに。
「マジック大会の後、世界中のプロが集まるショーを見たら、アマチュアの僕たちとレベルが違いすぎて、井の中の蛙だったことに気づいたんです。帰国後は実演販売の会社も辞めて、フリーターのような生活を送っていましたね」
実家のある岐阜県でフラフラし始めて1年がたったころ、実演販売を行う会社から再び声がかかる。
「手品グッズだけでは儲からないからと、CMで話題になっていた謎の生物・シーモンキーを扱うことになり、東京での販売員を探していたんです。お金も尽きていたので、住む場所のアテもないまま上京し、実演販売の仕事を再開することに」
シーモンキーと一緒に新しいマジック道具も販売し始めると、こちらも飛ぶように売れたという。
専門店『マリック』をオープン
「実演販売と平行して30代のときにマジックグッズ専門店をオープンしました。そのときの名前がマジックショップ『マリック』。20代のときから個人レッスンをするときにはそう名乗っていたのですが、公に使ったのはこのときからです」
ショップに『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)のスタッフが小道具を買いに来た縁で、テレビの世界に足を踏み入れる。
「道具を買いに来たスタッフの方に“直接、タレントに指導してくれないか”と頼まれて、テレビ局でタレントさんに教えるようになったんです。でもタレントさんはマジックのプロではないから、全然できないんですよ。“私がやったほうが何倍もすごいマジックができますよ”と提案したところ、“無名な人がやっても意味がない”と相手にしてもらえなくて。それなら自分の名前を売るしかないなと」
名前を売るために目をつけたのがホテルでのショー。ホテルに自ら売り込みに行くと、ショー専門の事務所を紹介してもらい、有名ホテルチェーンでショーをやらせてもらえることになった。
「大阪のホテルでショーをしたところ、それを見たテレビ大阪の方に番組に呼んでもらったんです。そのときにテレビは画面内でマジックが完結しないとダメだということを学びました。手がフレームアウトしちゃうと、映っていないところでマジックのネタを仕込んでいると視聴者に思われてしまいますからね」
そして東京・浅草のホテルでショーを見た日本テレビのスタッフに誘われ、人気深夜番組『11PM』に出演したところ、一躍注目を集める。