沙也加さんが亡くなった1週間後、彼女への思いを聞くため、都内にある秋山の自宅マンションのインターホンを鳴らしたが応答はなかった。

 後日、秋山が代表を務める会社のホームページに沙也加さんが結婚を意識していたこと、破局の原因について問い合わせたが、期限までに回答はなかった。

 秋山とも、前山とも結婚を意識していたようだが、なぜそこまで家庭を持つことにこだわっていたのだろうか。

沙也加さんは幼いころから、芸能一家として華やかな生活をしていたように見えますが、両親が家におらず、寂しい思いをすることが多かったそうです。お母さんと“距離”ができた時期もあったので、ごく普通の家庭を持つことに憧れていたのかもしれませんね」(同・芸能プロ関係者)

 '15年に出版した自著『Dollygirl』(宝島社)でも、幼少期に抱いた苦悩を語っている。

《卒園式のときに周りの父兄の方がざわざわしているのがわかって。「あれが!」「あの人が!」っていうざわつきが伝わって来て。そのときに、私の家には噂されたり、取沙汰される何かがあるのかもしれないって思うようになりました》

 “結婚して普通の家庭を持って、幸せになりたい”──。生前、そんな理想を抱いていた沙也加さん。一度は家庭を持つも離婚し、最期の“宿願”が叶えられなかったことは悔やまれるばかりだ。

談笑しながら運動会の親子競技の出番を待つ神田沙也加さん(当時11歳)と松田聖子(1997年10月)
談笑しながら運動会の親子競技の出番を待つ神田沙也加さん(当時11歳)と松田聖子(1997年10月)
【写真】昨年12月下旬、舞台稽古を終えて帰路につく村田充