そんな日々が10年間続き、母親は76歳で持病の発作を起こして自宅で亡くなる。

「母は薬に脳を壊されていて、人格もすべて変わっていましたから、あの苦しい日々が続いていたら私のほうが自殺していたかもしれない。

 正直、亡くなってほっとした思いもありました。一方で、いい親子関係をつくれなかったこと、最期をひとりで迎えさせたこと、医師として依存症の治療へ導けなかったことは申し訳なく思いました」

 母親が亡くなって7年。この取材日には久しぶりに、自宅に鎮痛剤の注射器が散乱していたころの悪夢で目覚めた。今も母の呪縛が完全に消えることはない。それでも、“母も母なりに苦しかったのかな”と思えるようになった。

「時がたつにつれ、嫌な思い出のなかに、ちょっと埋まっていた“いいこと”も浮かぶようになりました」

 もしも過去に戻れるなら、母に温かい手を差し出す努力をするだろう、著書ではそう綴るおおたわさん。それでも、

「生きている間に何とかしたい、何とかいい形で親を見送りたいという気持ちはわかります。でも思ったようにはならないのが人間同士。

 いったんこじれた母娘関係は何事もなかったように美談に変わるほど生易しいものではないですよね。

 悔いを残したくないから謝りたいと思うならば、そうすればいい。ただそれに見返りを求めるのは危険かもしれない。母親には母親の感情がありますから」

 親であれ子であれ、人は人を変えることはできないんですよ、と語る。

「生きているうちに、と決めつけなくてもいいでしょう?両親が亡くなってからだって、お墓に行ったり、仏壇に線香をあげたりすることで、親との関係に向き合うことはできる。思い出をたどって謝ったり、感謝したりすることは、一生できますから」

『母を捨てるということ』(おおたわ史絵著/朝日新聞出版)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします
【写真】おおたわ史絵さんの著書『母を捨てるということ』
お話を伺ったのは……おおたわ史絵さん●総合内科専門医。法務省矯正局非常勤医師。プリズンドクターとして、刑務所受刑者の診療に携わる。『情報ライブ ミヤネ屋』など、メディアでも活躍する。近著に『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)

(取材・文/河端直子)