仕事内容は食事の配膳と簡単な調理
「気候は沖縄県や私が今住んでいる地域ともよく似ていました」
募集要項によると日給は9000円。林田さんは食堂で調理補助の業務についた。
「業務は2交代制。私は早番だったので午前3時に起きて、4時から仕事でした。朝食の配膳や簡単な調理を担当し、片づけ。昼食の準備をするまでが仕事です」
途中1、2時間の休憩を挟み、仕事は正午には終わった。
島内には当然、スーパーやコンビニはない。月に数回開く自衛隊の売店と工事業者の売店の2か所があるだけ。
「日用品、お酒やタバコも売店で買えました。食事は自衛隊と同じものを食べていましたが売店でカップラーメンを買って食べてもいい」
宿舎は2人相部屋でトイレと浴室は共同。
「テレビはBS放送が映るだけ。でもそれで競馬をやっている人もいましたね(笑)。インターネットも電波が弱く、動画再生は厳しいけど、検索するくらいなら使えました」
仕事が終われば自由時間。林田さんらアルバイトのメンバーはいつもあちこち島を歩き回っていたという。
「島は1周するのに半日くらいかかる。壕内などひとりでは危険な場所もあるのでいつも数名で行動していました」
戦争の爪痕はいまもなお生々しく残されている─。
1945(昭和20)年2月から始まった硫黄島の戦いは同3月に日本軍の組織的戦闘が終結されるまでの間、凄惨を極めた。日本軍1万9900人が戦死、生還できたのはおよそ1000人。米軍にも戦死者6821人を含む2万8686人の死傷者が出た最激戦地だった。
「島内には戦時中に掘られた地下壕が張り巡らされ、当時から手つかずの場所も多い。銃や薬莢などの武器類、お茶碗が置いてあったり……」
遺骨や遺品も数多く残り、故郷に帰ることもできず、島で眠ったままだ。