母が勤めていた山奥の学校に憧れて

 学園長の堀さんは、1943年、福井県奥越地方の農村に生まれた。現在の勝山市だ。父も母も教師だった。父は地元の本校に、母は少し山に入ったその分校に勤めていた。

「私が小学校3年生から5年のころに母が勤めていた分校に、ときどき遊びに行きました。子どもは全部で30人ほど。

 先生と子どもが仲よく、大きい子が小さい子の面倒を見て、近くの山や川に出かけ、とても楽しそうに遊んだり学んだりしていました。いいなあと思って、分校をまねして学校ごっこをして遊んだものです。

 私はだいたい教師役をしていましたね。あの分校のイメージが、具体的なアイデアにつながっています」

 小中学校のころは先生にも憧れたが、途中からそんなことはすっかり忘れていた。

「高校では数学が肌に合わず赤点ばかり取っていた」が、時代のブームに流され一時は理系への進学を希望。

 だが、直前になって「やっぱり、子どものころ遊んだ分校のような、山奥の教員になろう!」と思い立つ。京都大学教育学部に入学したときには「卒論は僻地教育について書く」と決めていた。

 その後、アメリカの哲学者でもある教育学者ジョン・デューイの研究を進めていたが、21歳のとき、イギリスの教育学者ニイルの著書『ニイルの思想と教育』を手にして衝撃を受ける。

 そこには、ニイルがつくったイギリスの学校、サマーヒル・スクールの様子が書いてあった。「世界で1番自由な学校」として知られる学校だ。

授業に出る出ないは子どもが決める。全校集会では校長も5歳の子も同じ1票。大人と子どもがファーストネームやニックネームで呼び合う。最初はそんなアホな! という驚きや疑問ばかりでしたが、次第になるほどと納得できるようになっていったんです

 堀さんは、傾倒していたデューイとニイルの思想を「実践で統一したい」と考えるようになる。大阪市立大学で教育学や心理学の研究を進める傍ら、仲間たちと学校づくりを目指し、動き始めた。

学園長は「好奇心旺盛な少年のよう」

 堀さんと初めて出会った日のことを、現在の南アルプス子どもの村中学校の校長、カトちゃんこと加藤博さん(51)は鮮明に覚えている。当時、岐阜大学の学生だった加藤さんは、堀さんの論文「オルタナティブ教育の構想」を読み、堀さんのもとで研究をしたいと大学の研究室を訪れた。学園設立の直前、1991年のことだ。

校内で販売している修学旅行の冊子を見せてくれた校長の加藤さん(撮影/渡邉智裕)
校内で販売している修学旅行の冊子を見せてくれた校長の加藤さん(撮影/渡邉智裕)
【写真】学園内で主体的に動く子どもたちの姿、子どもに寄り添う大人

「ああ、よく来た、よく来た。まあ座って」

 堀さんにそう言われ、目の前の椅子に腰かけると、何の前置きもなくビデオデッキのコードを渡された。

そのコードで“もやい結び”できる?

 加藤さんは大学で山岳部に所属していることを事前に伝えていたが、志望理由など一切話す間もなく、もやい結びを求められたことに驚いた。が、とにかく言われるままに、もやい結びを作った。

よし! これで子どもと崖の工事を進められる!

 堀さんはうれしそうに笑って続けた。

面接ではただ笑っていなさい。大丈夫だから。よし、うまいコーヒー飲みにいくか

 早足で車に乗り、どこに行くのかと思ったらわずか1分の距離にある喫茶店。コーヒーが出てくるとひと啜り、「おっと、行かなくちゃ!」とお金を払い、あっという間にいなくなってしまった。

 加藤さんは、そんな堀さんの存在が子どもにも大人にも影響を与えていると言う。

なんて忙しい人なんだ、と思うと同時に、落ち着きがなくて、好奇心が旺盛で、思い立ったらあれもこれもしたい人なんやなあと思いました。著書や論文の文章はとても緻密で非の打ち所がないのになあと衝撃を受けました。

 子どもたちのそばにいる大人が堀さんのようにイキイキしていることは、とても大事だと思っています。堀さんは、大人にも好きなことをさせてくれるんです

 加藤さんが働き始めて1年目、「カルコルムの未踏峰に登りたいから2か月半休ませてほしい」と申し出たことがある。さすがに許してもらえないだろうと、辞める覚悟もして伝えにいった。

ああそう。いいよ。だって、子どもにいいやろ

 堀さんはあっけなく許してくれた。加藤さんは自分が山に登ることしか頭になく、何を言われているか最初はわからなかったが、あ、そういう考え方があったのかと気がついて、便乗することにした。

そうなんです。子どもにいいと思います。手紙も書くし、写真も撮ってきます。話もたくさんできると思います。それと、またいつか仕事を休んで山に行きたいです!

 加藤さんは20年前、2回目の休暇を取り、チベットの8000m峰の頂にも立った。

 子どもの村で夫婦共に教員をしていた加藤さんは、学校に生後2か月の赤ちゃんを連れてきていた時期もある。それも、堀さんは「子どもにいい」と言った。

 子どもたちは休み時間になると赤ちゃんの周りに集まり、泣けばあやしてミルクをあげ、両親が手が離せないときはおむつを替えてくれた。大人の手つきを見て、勝手に覚えていた。

 しかし、時に、大騒動が起きることもある。加藤さんが担任し、1年かけてプロジェクトで作った竪穴式住居が火事で全焼したこともあった。加藤さんは申し訳なく思ったが、堀さんはこう言った。

チャンスだ。こういうことがあるから学ぶんだよ。僕の実家も火事になったことがある。誰もケガしなくてよかったよ、カトちゃん。あはは

 大人のチャレンジも、大人の失敗も、子どもにとっては学びのチャンス。大人が堀さんに信用され、安心して楽しんで活躍できることで、子どもたちにもその安心の場が保障されている。

プロジェクトで作った竪穴式住居。座学では得られない技術が身につく
プロジェクトで作った竪穴式住居。座学では得られない技術が身につく