謝らせたい人の器の小ささを知る
その疑問に明快な回答を見出したドラマもある。菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系)の第6話だ。菅田演じる久能整が病院内で、ある患者男性(岡山天音)とすれ違いざまにぶつかってしまう。イチャモンをつけられ、謝罪の土下座を要求された整が滔々(とうとう)と論破したシーン。
「え、いいんですか? 土下座ってただの動作だから。簡単でお金もかからなくて、心がこもってなくても別のことを考えててもできちゃうわけですけど」
「土下座に意味があると思うということは、あなたはそうしろと言われることがすごくイヤなんですね?」
そうそう、謝らせたい人は、自分がやりたくないことを相手にやらせることで優位に立てると思い込んでいる。プライドだけが高くて、器の小さい、可哀想な人間である。
ま、これは今に始まったことではない。『DOCTORS~最強の名医〜』(テレビ朝日系)で高嶋政伸が、『半沢直樹』(TBS系)で香川照之が、立証してきたではないか。謝罪の形骸化をコミカルに描いた映画(阿部サダヲ主演『謝罪の王様』)もあったし。謝罪の土下座は既にパフォーマンスという共通認識もある。謝る人は「空気を読む平和主義な人」、他人に謝らせたい人は「自己顕示欲の強い人」として描かれてきたわけだ。
謝罪の5W1Hを改めて問う
でもいつも思う。謝罪の5W1Hがなんかおかしいと。「いつ(When)、どこで(Where)、何を(What)、誰が・誰に(Who)、なぜ(Why)、どのように(How)」のことだが、いつ、どこで、どのように、は形式の話だ。問題になる前に謝るのか、問題になってから謝るのか、タイミングも確かに重要。
変だなと思うのは、誰が・誰に、何を、なぜの「3W」。そもそも誰に何をなぜ謝るのかがわからないものも多い。直接迷惑をかけた、あるいは不義理をした相手に謝るのはわかるが、まったく関係のない人や世間に謝る意味があるのだろうか。謝罪=誠意・正しい対応、ではないと思うんだよね。
そんな謝罪事情が意外とてんこもりのドラマが、『ゴシップ #彼女が知りたい本当の〇〇』(フジテレビ系)だ。主演は黒木華。ネットニュース編集部の編集長・瀬古凛々子が社内のお荷物部署にテコ入れすべく、真実の報道を追求していく。
第1話では、のっけから編集部が謝罪に追い込まれる。ゲーム・アプリ会社社長のパワハラ疑惑を報じたものの、フェイクニュースとわかり、逆に訴えかけられる。第2話では不倫疑惑をリークしたアイドルが動画コメントで謝罪、第6話では世界的な漫画コンペの審査委員長として選ばれた漫画家が、過去の言動でバッシングされる。謝罪文を出すも、さらに昔のコメントが掘り起こされ、窮地に追い込まれる「キャンセルカルチャー」が描かれた。
このドラマの裏テーマは謝罪? と思うほど、謝る人も謝らない人も謝らせたい人もわんさか登場。
個人的にいいなと思うのは、凛々子の姿勢だ。愛想なし、無駄なし、疑問は直球でぶつける変わり者とされてはいるが、不要な謝罪はしなくていいと徹底している。編集部の面々に対しても、「謝る必要はない」「理由があるならいい。謝る必要はない」ときちんと言葉にしているのだ。そこな!と思う。
だいたい、本当に悪いことをした奴は悪いと思っていなくて、謝る気もさらさらないからな。悪いことをしていないにもかかわらず、「謝らなければいけない」と思いこんで謝る人には、凛々子のように、ちゃんとこの言葉を伝えるといい。「謝る必要はない」と言える人が増えれば、謝罪の定義も基準ももっと変わってくるのではないかしら。
吉田 潮(よしだ・うしお)
1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか』(KKベストセラーズ)などがある。