後ほど詳しく扱うが、教師と生徒は対等ではない。“恋愛”といっても、教員が生徒の淡い恋心を利用した性暴力であるケースも多い。
「先生が子どもに対してなんらかの行為をした場合、体罰以外はほぼ基本的に『指導』と扱われます。教員による指導は原則、間違いはないと扱われ、『指導』の名のもとに行われた行為は見逃されてしまう」(渋井さん、以下同)
'19年には、小学校時代に担任から教室で髪を触られたり、同級生の前で「かわいいね」と言われたり、額や頬をつつかれて、性的羞恥心による精神的苦痛を受けたとして、女子中学生が損害賠償請求訴訟を起こした。渋井さんによるとこうした事例でも、教師の口から合理的とされる説明を受けたら、現場では指導の一環とみなされてしまうという。『指導』は魔法の言葉なのだ。
また教育現場の人手不足の影響も深刻だという。
「“あの先生は部活をインターハイまで導いた”“東大の合格者を出した”など実績があると、たとえ問題行為があっても“ほかに人がいないから”と学校内でウヤムヤにされ、教育委員会に報告がいくこともない。学校が身内を守ろうとする隠蔽体質は、いまだに根深いものがあります」
新しい法律では“なにが性暴力にあたるか”“それをどの基準で性暴力と認定するのか”など詳細が明らかになっていない。
「教師との『恋愛』も盗撮も一緒になっていては、スムーズに運用されるのか。より丁寧な議論も求められます」
「あの優しい先生が?」加害者の手口と頭の中
では、児童や生徒に性加害をする教員はなぜ、性暴力を子どもに向けるのか?
そこで小児性愛障害などの性依存症治療に詳しい神奈川県鎌倉市の『大船榎本クリニック』精神保健福祉部長、斉藤章佳さんに聞いた。
「子どもへの性的嗜好を持続的に持つ者、性加害を反復する者は国際的な診断基準で『小児性愛障害』と呼ばれています。再犯を防ぎ、さらなる被害者を生まないためには、加害者の治療も必要です。私が携わる臨床の場では、早くから子どもへの性嗜好に気づいて、それを動機として子どもに接する職業に就く小児性愛障害の人も少なくありません」
もちろん子どもに接する仕事に就く人すべてが、子どもへの性的関心を持っているわけではない。ただそうした子どもに関わる職場環境を利用して、卑劣な加害行為を試みる者が少なからずいる、これもまた現実だ。
「彼らにとって子どもが大勢いる教室は、『お宝の山』なのです。そして『これも性教育の一環で、身体がどんな反応をするか教えてあげようと思った』『相手もそれを受け入れていた』など背景には驚くべき認知の歪みがあります。
治療では、その認知の歪みを変容させることにも注力しているわけですが、たとえ当人が更生し、どんなにやめ続ける日々を継続していてもふとしたきっかけで再犯にいたるケースもある。
彼らにとっては子どもと接すること自体、問題行為への引き金(トリガー)となってしまうんです。新しい法律はあくまで『懲戒免職』になった教員のみが対象。免職にならない限り、再び教壇に立てるのは疑問視せざるをえません」(斉藤さん、以下同)
子どもに性加害をする危険のある人物を、採用前に見抜くことはできないのだろうか。
「採用前に個人のプライバシーに深く関わる性嗜好を強制的に明かすことは、ほぼ不可能。彼らは子どもを性的な対象として見てしまう自分を他人に知られたくないと思っていますが、それが小児性愛障害という病で、治療の対象だという自覚がない。そのため加害行為が発覚したり、逮捕されるまで、自らの意思で治療に訪れる人はいないんです」