行正さんが次女の病気を告白するきっかけとなったのは、昨年12月、朝日新聞に掲載されたかりんさんの寄稿記事だった。そこには妹の闘病生活をかりんさんの視点から振り返った、正直な思いが綴られていた。
《(妹のことを)ヒソヒソと嘲笑するように話していたのは、小学6年生の男の子たち。彼らの視線の先にはピカピカの水色のランドセルを背負った、髪の毛が抜けた妹がいました。忘れもしないあの秋の日は、白血病の治療を終えた妹の小学校初登校日でした。(中略)だからこそ私は、彼らが発した心無い言葉にひどく傷つけられました。あの日の空しさが思い出すたびに込み上げてきます》(寄稿文より)
妹は素敵な女性に成長しました
かりんさんにとっても、仲のいい幼い妹が苦しむ姿はとてつもなくつらかった。そんなとき、耳に飛び込んできた周囲の心無い言葉は、10年たった現在も鋭いトゲを彼女の心に突き立て続けていた。しかし、かりんさんは寄稿文をこう締めくくった。
《あれから10年が経ち、妹は16歳になりました。たくましく、面白い、素敵な女性に成長しましたよ》
一家は、さくらさんの病気を通していろいろなことを学んだという。
「敷かれたレールの上で生きていこうとすると、何か予想外の事態が起こったときに、人は本当に脆いものです。だからこそ子どもたちには、『問題を見極める力』、そして『工夫して解決する力』が必要だと、この経験から強く感じました。しかもいつも親が答えを与えるばかりでは、その力はつきません。人から与えられることを待つのではなく、親が手本となって自ら学ぶ姿勢を子どもたちにみせていかないといけない。そのためには、大人もたくさんトライして失敗して、それを笑い飛ばさなきゃ。その姿が、生きていく勇気を与えるんだと」
お話を伺ったのは
行正り香さん 福岡県生まれ。18歳でアメリカに留学、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。帰国後、広告代理店に就職しCMプロデューサーとして活躍。2007年に、広告代理店を退社。『19時から作るごはん』(講談社)、『音から学ぶ小学生英語』(新泉社)など著書多数。全国120校で活用される英語教材「カラオケEnglish」、無料の探求学習教材「なるほど!エージェント」を制作している。
行正り香さん 福岡県生まれ。18歳でアメリカに留学、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。帰国後、広告代理店に就職しCMプロデューサーとして活躍。2007年に、広告代理店を退社。『19時から作るごはん』(講談社)、『音から学ぶ小学生英語』(新泉社)など著書多数。全国120校で活用される英語教材「カラオケEnglish」、無料の探求学習教材「なるほど!エージェント」を制作している。
取材・文/オフィス三銃士