東京の北西部・東村山駅前には、銅像と一緒に写真を撮る人がいつもいる。みな“アイ~ン”のポーズだ。
「志村けんさんの銅像です。昨年6月に完成しました。『東村山音頭』でこの地域を有名にした功労者ですからね。市内の有志がクラウドファンディングで製作費を募ったら、予定の2400万円を上回る3200万円が集まりました」(地元の住民)
自撮りをしていた男子高校生は、母親のDVDで『8時だョ!全員集合』を見てファンになったと話す。
「今でも毎日、全国各地からたくさんの人が訪れています。北海道から来た方もいましたし、タンクトップにジーンズの“志村どうぶつ園”コスプレで来るそっくりさんまで現れました(笑)」(駅の整備員)
自宅の現在は「ぱっと見はきれいだけど」
銅像の隣には、'76年に植樹された『志村けんの木』があり、空に向かって枝を広げている。長きにわたって市民から愛されてきた。
「亡くなられたときは駅前に献花台を置きましたが、コロナ禍が続くいま、三回忌ではありますが同様のことを行うのは難しい。メールでメッセージをいただければ、責任を持って遺族にお渡ししています」(東村山市役所秘書広報課・渡辺茂治課長)
志村さんが亡くなったのは、'20年3月29日。新型コロナの感染拡大が始まってすぐの時期だった。あれから2年がたつが、志村さんが住んでいた東京・三鷹の家は放置されたままのようだ。
「志村さんが三味線を弾く音が聞こえなくなって、本当に寂しいですね。亡くなった当時はお兄さんや家政婦さんがよく来ていましたが、最近は見ません。自宅前の掃除や草むしりは、近所の人たちでやってますよ。だから、パッと見はきれいですが、中庭は草や木がぼうぼうの生え放題。野良猫が子どもを産んですみついてしまいました。ずっと人がいないので、建物も傷んできたようです。雨樋が壊れたのか、昨年の大雨のときは、屋根から流れ落ちる水が滝のようにすごい勢いでした」(近くの住民)
熱海のリゾートマンションも、そのままになっている。
「志村さんは何度かお見かけしたことがあります。亡くなったときは、フロントに志村さんの肖像画が飾ってあって、花が供えてありました。それを見ると、もうここには来ないんだなって寂しくなりましたね」(マンションの住人)