そうして始まったのが『できるかな』の前身となる『なにしてあそぼう』。主役の“ノッポさん”がしゃべらない演出は当時斬新で、回を追うごとに人気は高まっていったという。4年続いた同番組の後に、いよいよ運命の『できるかな』がスタート……したのだが、最初の1年間、ノッポさんは出演していなかった。
「最初は違う人たちが出ていたんですよ。正直悔しかったですが、1年後に呼び出されましてね。どうやら大切な視聴陣である幼稚園や保育所の先生たちが『“なにしてあそぼう”のノッポさんじゃなきゃ子どもたちが見ないんです』とたくさん意見を送ってくれたようで、私が出演することになったんです」
実は「超不器用」だったノッポさん
そこからはご存じのとおり、『できるかな』はNHKのご長寿番組として実に20年間、“小さい人”たちに愛され続けることになったのだった。
ノッポさんがゴン太くんに小さな工作を見せていき、最終的には画面狭しと大暴れ……というのが『できるかな』の基本的な流れだったものだが、意外や意外、高見さんは超がつくほどの不器用で、セロハンテープもまともに扱えなかったのだという。
「なんでも長くやっていると、たるんでくるものでしょう。でも、僕は不器用だったから、何年たっても毎回真剣に作業をしていたんです。だから、完成したときに本物のニッコニコの笑顔が出る。カメラの前で、本当に幸せになれたんです。だから自分のぶきっちょなところが、番組が続いた大きな理由だと……いつも人には演説して聞かせているんですよ(笑)。あんまり私が上手にできないものだから、裏方さんにはずいぶん手間をかけさせてしまったと思います」
たとえひと言もしゃべらなくても、真剣に取り組む姿、そしてにじみ出てくる圧倒的な人間らしさが、小さかった私たちのハートをつかんだのだろう。
高見さんは子どものことを“小さい人”と呼ぶ。仕事に対しての姿勢と同じく「真剣に向き合う」、というのは、小さい人に対する高見さんの基本姿勢だ。それは小さいころの自分のことをよく覚えているからだという。
「私はずば抜けて悪い子でした。そして、賢い子でした。5歳を頂点にして落ちていったんですが(笑)。小さい人を見たときに、同じころの私がいかに自分が賢くて鋭い子だったかということを覚えているから、小さい人とも仲よくなれるんです」
小さい人を、大人より劣るものと考えないで、対等な目線で向き合うこと。それは、ほとんどの人が大人になると忘れてしまうことだ。
「毎日のように家に遊びにくる小さい人がいたのですが、その日は私も書き物で忙しく『本日はとてもやることがありまして、今日のところは我慢をして帰ってください』とお願いをしたんです。でも、次に私に時間があるときに遊びに来れば元どおり。お互いにちゃんと挨拶をする、謝ることができる。そんな私と彼の間には“悲劇”がないんですよ。悲劇をなくしていけば、幸せになれるんです」