初めて間近で見た同期たちの演技は、羽生を奮起させるきっかけとなっただろう。
それを示すように、羽生は合宿参加4年目となった中学1年のときに、作文にこう綴っている。
《久しぶりに見た皆の滑り、皆やっぱりうまくなっていた。ぼくは負けてたまるかと思いながら練習した》
さらに、羽生がどうしても田中に勝てなかったことがある。
「2キロのランニングです。野辺山は高地なので空気が薄く、大人でも体調を崩すほど、走るには過酷な環境。なので、小学生だった田中選手や羽生選手にとっては相当厳しいものでした。羽生選手は、最初の数年はいつもランニングで苦労して、女子選手にも抜かれていたほど。そんな中、田中選手は余裕の1位でした」(梅田さん)
その試練も、羽生は力にかえた。
《野辺山には、もう1つ疲れる要素があった。それは酸素の量。野辺山は標高がかなり高いので酸素の量が少ない。このつらい状況でもやらなければならない。だが、皆同じ状況でがんばったのだからと思うと気合いが入った》(前出・羽生の作文より)
田中刑事という存在のおかげで、羽生は高い“ヤマ”を乗り越えていった─。
梅田香子 '09年から在米。著作に今川友子との共著『フィギュアスケートの魔力』(文春新書)など多数。長女は米国認定フィギュアスケート・インストラクターとして活動中