「“大坂環”として活動していきたい」

 グランドスラム初制覇を、「何年かに1度起こるストームが、また発生した感じ」と笑うが、成功を手にしたことで、家族の生活は一変。「心にぽっかり穴があいてしまった」と、環さんは披瀝する。

私たちはずっと一緒にいたから、段階的な子離れというものがなかった。なおみがロサンゼルス近郊に家を買ってうちを出ました。

 その2年後にはまりもうちから離れ、娘2人が家族と離れて暮らすようになったとき、“娘は誰かにだまされているんじゃないか?”とか“私に愛想を尽かしたんじゃないか?”とか、とても不安な気持ちになって、毎日泣いてばかりいました。今思い返しても、泣いてしまう」

 そう言って涙をぬぐう環さんの姿から子どもへの愛情が伝わってくる。大坂家の成功は、“子どもファースト”の深い愛情があったからにほかならない。

「でも、私も同じなんですよね。札幌から飛び出して大阪に行って、自分の好きなように人生を歩んできた。そう考えたとき、娘たちも自分なりに答えを出した結果なんだろうなって。かつての父の言動も、理解できるようになった。トンネルを抜けて、あのとき見えなかったものが見えてきた感じですよね」

 昨年6月、なおみさんが全仏オープンを棄権し、うつに悩まされてきたと告白した際、世間は大きなリアクションを示した。

 環さんは、なおみさんにあえて何も言わなかったという。自分からは口を出さない。子どもが何を考えているか──。「口を開けるよりも耳を開くことが大事」、環さんが心がけていることだという。

 なおみさんは、5月下旬から開催される全仏オープンに向け、トレーニングの最中。まりさんは、一線を退きデザイナーとして第2の人生を進む。トンネルを抜けた先には、新たな景色が広がった。環さんは今、何を見るのか?

「“なおちゃんのママ”“大坂なおみの母”としてではなく、“大坂環”としていろいろな活動をしていきたい。私たちはワンユニットであり続けるけど、私も私の人生をもっと豊かにしていきたい」

 そう言って、にこっと笑う環さんのキャラクターは、これからは家族だけではなく、きっと多くの人に勇気を与える存在になるに違いない。

『トンネルの向こうへ「あと一日だけがんばる」無謀な夢を追い続けた日々』(集英社刊)著者=大阪環 ※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします
【貴重写真】環さんの手編みマフラーを巻きながら雪だるまを作る幼少期の大坂なおみ

(取材・文/我妻アヅ子)