「週刊誌不信」から始まった出会い
とも子さんに初めて会ったのは2020年5月26日。行方不明から9か月近くがたっていた。
「ごめんなさい。今はお断りさせてください」
取材を申し込むと、返ってきたのはわずかな言葉だけ。その理由を知りたいと、山梨県警が捜索活動を再開させるタイミングに合わせ、道志村までとも子さんに会いに行ったのが始まりだ。そこで彼女の口から聞かされたのが、週刊誌報道に対する不信感だった。すぐには難しいと判断した私は、2日間にわたる捜索の間、とも子さんとできるだけ話をした。2日目は報道陣が捜索活動の現場に張りついていたので、私はとも子さんと2人で山中を捜しながら2時間半ほど歩いた。話し始めるとだんだん打ち解け、こちらの質問にも丁寧に答えてくれた。その時に彼女が発した、次のような言葉が印象に残っている。
「こうして山を歩きながら、美咲に関するものが出てこないことで、ホッとする気持ちもあります」
美咲ちゃんは今もどこかで生きているはずだーー。それを裏付ける「物的証拠が存在しない」ことを確認するために、とも子さんは道志村まで足を運んでいたのだ。
今思えばその時の道中が、今回、骨や衣類などの遺留品が見つかった現場付近だった。
美咲ちゃんの捜索や情報提供を呼びかけるちらし配りなどのため、とも子さんは毎月2回ほどのペースで、千葉県成田市の自宅から山梨県まで車で通った。印刷したちらしは68万枚を超え、印刷代や交通費を含めるとかかった経費は少なくとも330万円。そんな活動を続ける傍らで、今もとも子さんが向き合わざるをえない現実がある。