「外務省の沖縄大使として、'00年の『沖縄サミット』に貢献して以来、長きにわたり地域復興に尽力なさったことは、言うまでもありません。雅子さまは、慰霊訪問を通じて、国母としてのお務めを果たす姿勢を、天国の野村さんに届けたいというお気持ちも強いと思います」(同・前)
沖縄に対して並々ならぬ思いを抱かれる雅子さまに、“チャンス”が巡ってきた。
25年ぶりの沖縄訪問実現へ
「“四大行幸啓”の1つである『国民文化祭』が、今年10月から11月にかけて沖縄県で開催されます。そのときの社会情勢にもよりますが、現段階では、両陛下も足を運ぶ方向で準備を進めておられるとお見受けします」(宮内庁関係者、以下同)
四大行幸啓のうち、ほか3つは、昭和時代から続く『植樹祭』と『国民体育大会』、平成時代に加わった『全国豊かな海づくり大会』だ。
「国民文化祭は、浩宮殿下時代の陛下が“第1回”にご臨席したことを機に、平成時代は皇太子ご夫妻として出席されていました。雅子さまは、国民と深く交流できるこの行啓を大切にしています」
'20年と'21年の同祭は、コロナ禍の影響を受けてオンラインでの出席となった。
「思い入れの強い公務であるうえ、沖縄での開催ですから、“現地に赴きたい”と、お考えでしょう。本土復帰50年というメモリアルイヤーであることを念頭に、地方公務再開の最初の地に選ばれる可能性は高いと思います」
両陛下がそろって沖縄を訪問されたのは、'97年7月の1度きりだ。
「沖縄の本土復帰25周年の節目の年に、『全国農業青年交換大会』に臨席するタイミングで、沖縄戦没者墓苑や『平和の礎』を巡られました。その後、皇太子時代の陛下は'05年や'10年など、数回にわたり沖縄を訪問されているものの、療養中の雅子さまのお姿はありませんでした」
移動時間が長く、地域住民や報道陣の注目を集める地方公務は、雅子さまにとってハードルが高いとされていたが、
「令和になってからの雅子さまは、地方で行われた四大行幸啓に、すべて出席されました。予定に合わせて、何か月も前から体調を整えるように務めていると聞きます」
前出の山下さんは、地方公務の重要性をこう説く。
「主目的は式典へのご臨席ですが、地方の人々と直接ふれあう機会は、国民とともに歩む皇室にとって非常に大切です。できるだけ早く地方訪問ができるよう、宮内庁は方法を模索していると思います」
雅子さまは“追憶の場所”で、新たな一歩を踏み出される─。
山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている