日本一の料理人から日本一の夫へ
『料理の鉄人』の出演で、道場さんの故郷・山中温泉も盛り上がった。義理の姪で、現在は店舗のスタッフとして働く美惠さん(64)が、当時の思い出を語ってくれた。
「私はオヤジさんの兄の廣太郎の息子の嫁にあたります。応援のために親戚がウチに集まる機会も多く、結果が出るまで本当にハラハラして、みんな固唾をのんで画面に見入っていました。廣太郎は喜び騒ぐタイプではありませんでしたが、やはり弟が勝つとうれしそうでしたね」
このころになると、道場さん・歌子さん夫婦の間に流れる空気も穏やかになり、2人でよく食事や旅行に出かけた。熱海や箱根などの近場の温泉に、毎月のように出かけていた時期もある。
しかし、歌子さんが次第に体調を崩し、認知症も始まった。自宅で療養中の歌子さんのため、明太子や塩昆布を入れて食べやすいようひと口サイズに握ったおむすびを作ると、ことのほか歌子さんは喜んだ。
「女房が病気になって、僕が家のことをやるようになって、やらなきゃいけないことの多さに驚いたね。こっちが仕事に行ってる間、女房が子どもの学校のこと、掃除洗濯、台所まわり、全部やってくれていたんだから。大変だよ。感謝だね。感謝っていうか、申し訳なさだよね」
現在、道場さんと一緒に暮らしている照子さんは、その様子を間近で見ていた。
「日中は母を見てくれる人がいましたけど、夜は仕事から帰ってきた父が母を見ていたので大変だったと思います。だけど、父が思い出す母は私が思い出すような姉妹の世話を焼いたり、元気に店を回す姿ではなく、認知症になってからの母なんです。“ばぁばはここで躓いたんだよね”なんて細かいことも覚えていて、愛しくて、愛しくてたまらないという感じで。
母が家を飛び出して徘徊したときも本当に動揺していて、そんな父を見たのは初めてでした。その後、母のために“日本一の料理人じゃなくて、日本一の夫になる”と宣言したんです」
7年前に歌子さんが亡くなってからは、ひどく気落ちして、周りのみんなが心配するほど。その後、運転免許も返納し、大好きな車の運転もできなくなった。それでも前を向き始めたのは、こんな心境に至ったから。