元祖ヤングケアラーだからできること

 テレビ局を退社した町亞聖さんは、さまざまな活動に積極的に取り組んでいく。

「私が両親の介護をしてきた15年間に起きたことは、今起きているすべてのことを内包しています。現在ヤングケアラーという言葉が出てきたおかげで定義づけられていく感じがしますね。私が知っている限り、若年性認知症の親御さんを介護しているお子さんがいるという現状から、その言葉が出てきたように思います」

 30代、40代で若年生認知症を患った親、そしてその子どもたち、まだ10代で中学生だったりする子どもが家事に翻弄されているのだ。

「あと要介護の祖父か祖母がいて、両親が共働きをしているために、結局、孫が学校を休学してとか、大学行きながら世話をするヤングケアラーというふうに取り上げられるようになったんですね。

 国としては、家事の援助に入るというのを、一応、モデル事業としてすでにやっていますが、援助をしただけでは解決にはならない。要は親が抱えている問題を解決しないと、子どもは救われない。そこをどれくらい国や自治体がわかっているのかなと」

 結局、高齢者の介護と同じように考えているのではないか。ヘルパーさんが家に入れば、助かるだろうと。基本的に家が抱えている親の問題、つまり精神的な育児のネグレクトに関しては、親の恥になるし、家の恥になるから、語れない。だから、多くのヤングケアラーの子たちも、誰に助けを求めたらいいのかわからないのだろう。

 最近、亞聖さんが依頼される講演会は、がん保険の会社で働く職員が対象のことも多い。また、在宅医療に取り組んでいる人たち、専門職の人を集めた勉強会などに呼ばれることも少なくないという。

10年続く「うつ」「認知症」がテーマのラジオ『ひだまりハウス』。「神様にテーマにしなさいと言われたんでしょう」と笑う 撮影/渡邉智裕
10年続く「うつ」「認知症」がテーマのラジオ『ひだまりハウス』。「神様にテーマにしなさいと言われたんでしょう」と笑う 撮影/渡邉智裕
【写真】高校時代、チアリーダーをしていた町さん

「民間の介護保険を担当する職員に介護や看取りのイメージを持ってもらい、自分ごととして考えてもらおうという趣旨があるようです。

 また、介護現場で働く専門職の仲間もたくさんいて勉強会も一緒に開催していますが、人手が足りないなどの厳しい現実があるのは理解していますし、自分たちは“一生懸命やってる”や“1人では変えられない”という本音も聞くことがあります。ただそんな専門職も、実は当事者になって初めて気づくことも多い。

 家族の立場からすると“みなさんの言っていることは言い訳にしか聞こえない”と。“もし自分が介護を受ける側だったら仕方がないと言って諦めるんですか?”と尋ねるんです。だから、諦めなくていいよう、みんなで“理想”を形にしていきましょう、と伝えています」

 家族介護がテーマでも、要介護者を抱えた家族向け、施設職員向け、また施設利用者と家族など、講演対象はさまざまだ。ほかにも、大学生たちと介護施設などを訪れる活動、児童養護施設出身の子たちによるスピーチのイベントの手伝いもやっている。

「その子たちの話を聞くと、ヤングケアラーの問題がものすごく深刻であるというのがわかる。実は、児童養護施設に行かなきゃいけない子たちって、幼いころからのヤングケアラーも多いんです。お母さんの精神疾患、父親のDV、家の中が嵐のような状態で、お母さんの精神が安定していない状態に置かれ、子どもたちが逃げられないでその中にいて、きょうだいの面倒をみていたりしている」

 そんな子どもたちの経験を聞くと、彼らが置かれている状況は国が考えているよりももっと根が深いことがわかるのだという。

「これまで子育て支援だとか、暴力にさらされている弱者に対して効果的な対策を打ってこなかったから解決できてない。そんな中にヤングケアラーがすごくたくさん含まれています。施設に行かざるをえない子どもたちにしても、もしかしたら施設に行く前にできることがあるはずなんです」

 それは「お母さんへの支援」だと亞聖さんは続ける。

8割くらいはシングルマザーで経済的な貧困が根本にあります。育児のネグレクトは、お母さんが社会的にネグレクトされているから起きるんですね。そういう問題をみんながネグレクトすることに根本の問題があると思う。

 関係ないことなんてないんですよ。いつかは誰でも直面するかもしれないこと。そのあたりをマインドチェンジしていかないといけない。そのためにやっているのが私のこの10年の活動なんですね」