人の手を借りることの大切さ
亞聖さんは、最近の勉強会で出会った40代の男性たちの話をしてくれた。
「今の定義では18歳はヤングケアラーには含まれませんが、最近お話を伺った男性介護者も10代ではありませんでしたが、彼もヤングケアラーだと私は思っています。なぜなら、同世代だったらできるはずのことができない状況に置かれているから。
お母さんが認知症で、息子さんが介護をしている。そんな中で、言うことをきかないから殴ってしまったり、あともう1人相談を受けている男性介護者の方も、玄関に普通に鍵をかけるだけでは足りず、さらに頑丈な鍵をつけないとお母さんが逃げ出しちゃうというような……。それを10年息子さんがやってたというケース。
2人とも現在40代で、30歳から40歳まで介護生活を送ってきた。お2人とも結婚はしていなくて、お話してみると、若者のまま、親を想う子どものままなんですね。十代がヤングケアラーというふうに括るんじゃなく、追い詰められてやらざるをえなくてなった若いケアラーは年齢に限らずいるんだということも知ってもらいたい。介護をしている息子さんはなかなか声を上げられないでいます」
しかし、抜け出す方法はある。それは人の手を借りること─。
「第三者に助けを求める─それだけで“なんでこれまで自分たちでやろうとしていたんだろう”というふうに思える。そこまでが長い。
最悪の事態になる前に、助けを求めてほしいんですね。なくならない介護殺人の加害者の7割くらいが男性で、ご主人か息子さんなんですね」
ヤングケアラーの問題は、ヘルパーを派遣すればいいと言うものではないと亞聖さんは言う。
「高齢者介護に従事するヘルパーさんも、利用者さんの家庭で見つけたりするんですよ。“あ、この子、ヤングケアラーだ”って。だけど、その子の抱えている問題に、ヘルパーさんが介入できるかといったら、やっぱり相談には乗れない。教育関係のスペシャリストではないから。
かといって、見て見ぬふりをしたら“やっぱり大人は助けてくれない”となっちゃうんで、やはり話し相手になることがまず入り口かなと思います」
そして肝心なのは、ヘルパーがつなぐ先を持っていることだと、こう続ける。
「その子が困っているのが経済的なものだったら、やはりそれは福祉課などの役所だと思うし、学校関係だったら教育関係の人につながるように、日ごろからスクールカウンセラーを介護の会議に呼んでもいいかもしれない。
その地区にある学校のソーシャルワーカーにも参加してもらうとか。要は地域の中でいろんなものにつながるような仕組みづくりをしていく。私は私で思いつくアイデアを言うし、“できることを考えてください、その立場のみなさんで”と言っています」
2012年8月。亞聖さんは自身の母校である、さいたま市立浦和高等学校で講演を行った。テーマは『十八歳からの十年介護』だった。亞聖さんが言う。
「まさか、自分が母校で後輩たちにそんな話をするなんて考えてもいませんでした。実は講演会の企画を担当していたのが、私が在学していたときの野球部の顧問の先生で“町先生に家族介護についてお話をお願いしたいんだ”と頼まれちゃったんですよ(笑)」
体育館に集まったのは、併設する中学校の生徒と高校生たち。亞聖さんも中学・高校時代、彼らと同じように将来への不安もなく、無邪気に笑っていた自分を思い出していた。
「この子たちに“病気” “介護”や“死”というイメージは伝わるのだろうか?」
そう思っていたのだが、後日亞聖さんの手元に届いた生徒たちの感想文には、「当たり前の日常が送れることが幸せなこと」「1日1日を大切にすること」「家族の大切さ」など、亞聖さんが伝えたかった言葉が並んでいた。
前出の報道番組のディレクター徳留さんは、亞聖さんのほうが年下なのに、お姉さんのような感じがすると言う。
「彼女は、家族の中でも長女で弟妹の面倒をみてきたからでしょうか。会社の中でも若いディレクターやスタッフに慕われていました。早朝の番組のニュースが終わって“朝ごはん行こう!”って町さんが声をかけて社員食堂に行く。まるで弟や妹みたいに面倒をみて、新人さんにも“おなかすいたよね”と声をかけていたのをよく覚えています。黙って不安を抱えている人の気持ちを敏感に感じ取るのだと思います」
そして、こんなことを徳留さんは最後に言った。
「私は“お姉ちゃん頑張ったね”と言ってお母さんの代わりに彼女をギュッと抱きしめたい。18歳の時のままの彼女を。そしてこう言いたい─。
人を全力で愛するだけじゃなくて、もっとあなたが愛されていることに気がついて!」
〈取材・文/小泉カツミ〉
こいずみ・かつみ ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人インタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数