島倉千代子さんから、事務所社長の寺西監督に宛てて送られた手紙1
島倉千代子さんから、事務所社長の寺西監督に宛てて送られた手紙1
【写真】島倉千代子さんから、寺西一浩監督に宛てて送られた手紙

 裁判では誰が陳述書を出してくるか、裏で糸を引く真犯人をあぶり出すことが最大の目的でした。そこで浮かび上がったのが、バラエティ番組などに“社交界のプリンス”と自称して出演していた熊谷裕樹(別名:東裕樹)という男でした。

 元々熊谷とは2006年頃に、あるパーティで出会い「力を貸してください」と言われたので人を紹介したり、当時彼が南青山でやっていたサロンの家賃が支払えなくなると泣きつかれ助けたこともありました。それなのに陰では私に対する誹謗中傷を繰り返していたんです。

吟さんの存在が麻耶さんを助けた

 私が学歴詐称をしているとか、島倉千代子さんの事務所の社長をやっていないとか……。そういうわけで裁判所に卒業証書を提出し、事務所の社長を証明する取締役会議事録や履歴事項全部証明書、島倉さんからの手紙、当時、島倉さんの事務所の9,000万円の借金を私が連帯保証していたので債務保証契約証書の証拠をすべて出し、私の主張が認められたんです。(※証拠書類に関しては編集部がすべて確認済みです)

 熊谷はほかにもアイドルの男の子たちに対してひどい仕打ちをしていて、当時の熊谷のマネージャーだったT氏がある日突然私を訪ねて来ました。「寺西さんがされたひどい仕打ちを、今度は私や罪もない未成年の男の子たちがされています。助けて下さい」と私が誹謗中傷されていた当時の証拠や録音、録画データをすべて持ってきました。

 相談を受けた私は弁護士を紹介し、すぐに警察に行くように言ったんです。そして2017年、熊谷は15歳の少年に対するわいせつな行為などで逮捕されました。私は記事を捏造し流布させ、たくさんの人に心の傷を負わせたこの男を死ぬまで許しません。

 こう振り返ってみると、私自身もいろんな逆境に置かれました。普通なら、あそこまで結託して捏造記事を作られ袋叩きにあったら自殺していてもおかしくないと今振り返って思います。しかし、不思議なことに当時何を言われても、妨害されても屁とも思わなかったし、大勢に影響がなかった。

 嘘は嘘でしかないから。応援して下さる方々が私の周りにはたくさんいて励まして下さったから乗り越えられたんです。吟さんの存在が麻耶さんを助けたようにね。自分が正しいことをしているという信念を持っていれば、必ず道は開けると信じています。

 そうした信念のもと、最近は朝6時に起床してミステリー小説を書きつつ、私に監督になるきっかけを与えてくれた香港のサム・レオン監督からの「規模の大きい小さいは気にせずに、毎年一本は映画を撮りなさい」とのアドバイス通り、映画の製作に携わる毎日を送っています。何かを表現して人に届けたい気持ちと、自身の好奇心がそうした創作活動のモチベーションになっている気がします。

寺西一浩 慶應義塾大学法学部卒業、一般社団法人日本推理作家協会会員。2002年『ありがとう眞紀子さん』で文壇デビュー。その後自身の小説『女優』(講談社)の映画化で監督デビューし、第15回上海国際映画祭正式招待作品に選出される。ほかにも監督・脚本・製作総指揮として『東京ボーイズコレクション〜エピソード1〜』が第14回モナコ国際映画祭最優秀グランプリを受賞。『TOKYO24』『17歳のシンデレラ』などの作品を手がけ、映画祭などで多数の受賞を果たす。連続テレビドラマ『寺西一浩ドラマ~人生いろいろ~』(MX)で作・演出を手がける