朝日新聞は最初からずっとダメだった
覚えているだろうか? 民主党の小沢一郎代表をターゲットとした東京地検特捜部の執拗な強制捜査。2009年のことだ。捜査に疑問を感じた鮫島さんは「朝日新聞がこの捜査に警鐘を鳴らす記事を一面に掲げるべきだと強く思って」、編集局長室に乗り込んで直訴したという。これ、かなりの掟やぶりだったそうで、そういう一か八かで勝負に出るところがある。しかし、これはかなえられず。検察に甘い内容の記事が載り、鮫島さんは「怒りで発狂しそう」になった。
「朝日新聞社は元々ね、ダメだったんですよ。自分はそれに気づいてなかっただけで、最初からずっとダメだった。僕が入ったころもすでに8割ぐらいは官僚的な人ばかりで、本当は大蔵省に行きたかった、外交官になりたかった、親が学者だとか外交官とか、そんなのばっかりだったんです。読者側に立つというよりは、政治家になりたいような人たちの中に2割ぐらいはけっこうジャーナリズムに燃える人がいました。
この本ではボロクソに書いた木村伊量(きむら・ただかず)元社長とかにもいいところもある。『ジャーナリズムは調査報道にある』とか言った秋山耿太郎(あきやま・こうたろう)元社長とか、いちおう建前を守るっていうね。そういう人たちが主導権を握っていてかろうじてセーフだったんです」
福島第一原発事故の『吉田調書』誤報事件
しかし2014年、鮫島さんの記者人生はガラガラと音を立てて崩れていく。
鮫島さんがデスクを務める特別報道部が伝えた、福島第一原発事故の陣頭指揮にあたっていた故・吉田昌郎所長の政府による聴取記録、「吉田調書」についての一面トップ記事が“誤報”だったとされ、朝日新聞社の当時の木村社長が引責辞任をする大騒ぎに発展し、上司は停職に、鮫島さんも停職2週間となり記者職を解かれた。記事を担当した現場の記者たちも処分され、彼らは会社を去っていく。
このあたりの一連の流れはぜひ本を読んで確かめてほしい。そんなことがあったのか……と驚く。朝日新聞社はなぜもっと早く対処しなかったのか? これが大新聞社のあるべき対応なのか? 何より、購読する人たちのことをいちばんに考えていたのか?素朴な疑問が沸いて、読んでいてザワザワする。ちなみに今この記事を書く筆者は、長らく朝日新聞の購読者で、今はデジタル有料購読者だ。
そして“誤報”だとする記事が伝えた、原発に過酷事故が起こったときに「誰が対処するのかという議論を棚上げしたまま、原発を再稼働してよいのかを問いかける」(第六章より)という鮫島さんたちが記事を作った根本的な意図は、今だ解決していない原発の大問題を問うためのものだった。
果たしてそれは“誤報”だったのか? まったくわからない。
「集中砲火を浴びました。朝日新聞も罵詈雑言を受けたけど、僕自身にも“捏造記者”だとか、“エリートのくせしやがってウソ書きやがる”とか、強烈に言われ続けた。最初はひたすらムカついていたんだけど、本に書いたように、自分が犯した罪は、記事が間違っていたとかいないとかよりも、尊大に社内でふるまってきた傲慢さを問われる『傲慢罪』だと妻にはっきりと言われたんです。いちばん身近にいる人からそう言われ、もうグウの音も出ない。“ああ、それこそが本質だな”と思って。立ち直れないぐらいのショックでした。そこと向き合わないと次の一歩にはいけないと思いながら、会社を辞めるまで6年もかかった。
いろいろな気持ちが交錯し、過去の自分を反省していく。でもダメだったとなかなか認められないんです、人間は。正当化したくなる。心から本当に『アカンかった』と認めるには時間がかかる。言われて、そうだと思っても、消化するのに6年。何度も、『いや、俺は間違ってなかった』って思う、思いたいから。ただ、それを苦しみながらやると、意外と間違ったって認めちゃうのはラクになれるんだって気づくんだよね」
自分の間違いを認めたからこそ、鮫島さんたち現場の記者たちを切り捨てた朝日新聞への言葉は厳しい。本の中でも鮫島さんは朝日新聞へ何度も厳しい指摘をし、「この会社にはもう未来はないと確信した」(第七章より)と、突き放す。