デビュー曲の評価は高く、レコード大賞新人賞に。当時、同じく人気だった宮沢りえ、牧瀬里穂と3人の頭文字をとって“3M”と呼ばれた。

“3M”と呼ばれ恐縮した時代

「デビューも年齢もバラバラだったし、私はいちばん年下でキャリアもなかったから“私が並んでいいの?”っていう感じでした。宮沢りえさんなんて、すでに大スターでしたし、先輩感ありましたよ」

 歌手と並行して、女優としても活躍していた。

「劇団員みたいな訓練はしていないんです。私がやってきたトレーニングは“走れ! 芝居は体力づくりだ!”でしたから(笑)。

 歌もボイトレの代わりに私が低い跳び箱の上にあおむけになって、お腹に砂袋を乗せて、さらに上から歌の先生が乗って踏む。そうなると“エー、エー”って喘ぎ声しか出ない。いま考えると、何やってたんだろうって思います」

 仕事が忙しくなって、学校に行くことは難しくなる。

学業との両立が難しかった芸能活動

「芸能の仕事をやっていると目立つので、運動会や文化祭に行けなくなりました。学校からも“来るのか? 来ないのか?”とせっつかれて。私が参加すると見に来る人が出てくるから、それで学校がとる対応も変わるからって。そうなると“欠席でいいです”となっちゃって。部活もやりたかったですけどね……」

 初めて出演した連続ドラマは、SMAPが本人役で出演した'88年『あぶない少年III』(テレビ東京系)。翌年に田原俊彦が主演する人気ドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ系)にも出演。

「トシさんは、すごく優しかった。私がなれなれしかったからかもしれませんが、生徒たちが乗るロケバスに乗ろうとしたら“観月、おまえこっち乗れよー”って、トシさんが運転するポルシェに乗せてくれたことがありました。

 そしたら、カーステで流しているのがご本人の曲(笑)。“先生って自分の曲を聴いてるの?”と言ったら“そうだよ!”って。だからどうした?みたいな。あのころも今もブレてないですよね~」