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ー 「それが田舎者の発想なんだよ」

 

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。故・大橋巨泉さんと、邦画の大巨匠たちについて振り返る。

「それが田舎者の発想なんだよ」

 タレント、司会者、放送作家と、多彩な顔を持っていたのが大橋巨泉さん。巨泉さんにそそのかされて、オーストラリアに別荘を買わされた芸能人もたくさんいるのよ(笑)。でも実際は、お金にとってもシビアな人だったみたい。

 昔、元夫の林秀彦が3番目の奥さん……私と別れて、その後に結婚した女性とオーストラリアに住んでいたとき、巨泉さんから共同馬主にならないかと持ち掛けられたことがあったらしい。

 あるとき巨泉さんがその競走馬を使うと、なんと馬が骨折してしまい再起不能に。悲しいことに殺処分することになったそうで、元夫はその処理代半分を負担させられ、その後ずっとこぼしていたと、私と仲がよかった3番目の奥さんから聞いたことがある。

 でも、巨泉さんは私には優しくしてくれた。あるとき、仕事の合間に、巨泉さんから「住むなら都会の四畳半と田舎の豪邸、どちらがいい?」と聞かれたことがあった。

「もちろん都会の四畳半でしょう」と答えると、「それが田舎者の発想なんだよ」と笑われた。確かに巨泉さんは海外で広いお屋敷に住んでいたけど、私はいま考えても都会の四畳半だと思うわ。年をとったら特に毎日刺激がないと!

 不思議な縁――と言っておこうかしら。巨泉さんの2番目の奥さまである浅野寿々子ちゃんは子役出身で、目がパッチリした、とてもかわいい方。『切られ与三郎』という映画に出演した際、私の役の少女時代を演じたこともあった。その後ご夫婦とはよくバラエティー関連で共演したから、巨泉さんは目をかけてくれていたのかもしれない。

 あるとき、巨泉さんとピアノのあるスタジオで共演した際、巨泉さんに「マナミはジャズではどんな曲が好きなんだい」と聞かれた。「フランク・シナトラの『I'm A Fool To Want You』よ」と答えると「渋いなあ」と言って、ピアノで弾いてくれたの。感動したのなんのって。

 先述した『切られ与三郎』は、監督・脚本を伊藤大輔さんが、カメラを『羅生門』などを撮影した宮川一夫さんが担当。主演は、市川雷蔵さんという名だたる方が参加された作品だった。当時の私はまだキャリアも浅い新人だったから、そのメンツのすごさにピンときていなかった。特に雷蔵さんは、あんな大スターだったのに、誰に対しても物腰が柔らかい紳士だった。

 『切られ与三郎』が封切りされると、俳優座養成所の同期生で、佐分利信さんの息子・石崎二郎から電話がかかってきた。「マナミ、映画を見たけどお前はかわいく演(や)る必要なんてないんだよ。十分かわいいんだから」。褒めているのかけなしているのか、がっかりした。でも、カマトトっぽく演じすぎたかも、と私も自覚していた。

 というのも、伊藤大輔監督の撮影はおもしろくて、ワンカットが終わるたびに、監督が「はい、ただいまのは79点」なんて点数をつける。「85点ですね。結構でした」なんて具合。周りもすごく褒めてくれたものだから、調子に乗ってしまったのね。

 伊藤監督の伝え方は、淡々としながらも筋が通っているものだった。宮川さんも実に柔らかな方だった。

 少なくとも私が接してきた方々、例えば、伊藤大輔監督、五所平之助監督、木下恵介監督といった大巨匠たちは、役者をぞんざいに扱うようなことは決してなかった。厳しさはもちろんある。だけど、役者に対して敬意を持っていた。五所監督は、撮影中に父が重体という連絡が来て気を揉んでいた私に寄り添い、ずっと慰めてくださった。

 プロフェッショナルが多かった。監督だけじゃない。カメラ、照明、スチール、床山さん……裏方も職人というべき方ばかりだったから、偽物が入り込む余地はなかった。今と昔では邦画の世界も変わったと思う。パワハラ、セクハラ――、そんなニュースを聞くたびに、私は信じられない気持ちでいっぱいになる。

 ふじ・まなみ ●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉