「アレンジが気に入らない」提供楽曲がヒット
'74年12月には楽曲提供をした森進一の『襟裳岬』がレコード大賞を受賞。プロデューサーとしての手腕も発揮していく。前出の常富氏は、
「僕たち『猫』も拓郎プロデュースですが、『雪』という曲があります。これは拓郎が自分のアルバムに入れた曲なのですが、“アレンジが気にいらないから君たちでもう一度歌ってくれ”と言われてリリースしたら、ヒットしたのです。本当にセンスのある人だと思いました」
'77年にはセルフカバーアルバムを発売する。
「拓郎は自身が提供した楽曲を、自分で歌ってアルバムを作るというのです。最初は何を言っているのかと思いましたが、このカバーアルバム『ぷらいべえと』がオリコン1位を獲得し、大ヒットを記録します。これも拓郎のプロデューサーとしての資質を見事に発揮した出来事でした」(常富氏、以下同)
拓郎は、'99年に自らが設立に携わったレコード会社を離れた。
「長く在籍して吉田拓郎というアーティストのイメージが固まってしまった。だからこそ“新鮮な人に自分を料理してもらいたい”という思いがあったのです」
新しいものを追い求めてきた拓郎だったが、引退を決めた理由はなんだったのか。
「彼の最大の魅力は言葉と声ですが、それが思うように出なくなったからではないでしょうか。4年前ぐらいから、拓郎の声質が明らかに変わっています。彼は今も、自分の声だとは思っていないんじゃないかな」
6月27日にはラストアルバムが発売されたが、
「今回のアルバムも、とても面白いし完成されている。ただ、そこに吉田拓郎というものがどれだけ出ているのかというと……。拓郎は“もっとできるはずだった”と感じていると思います。プロデューサーの資質が非常に高い男ですから、思うように歌えていない自分をこれ以上はプロデュースできなくなったということだと思います」