「やべえぞ」としか言いようのない毒母
で、今回のお題は富田靖子。現在放送中の『純愛ディソナンス』(フジテレビ系)で、ヒロイン(吉川愛)の母親を演じているが、もう、靖子、やべえぞとしか言いようがなかった。
主人公は中島裕翔。亡くなった兄の恋人で大学時代の先輩(筧美和子)が、勤めていた高校を辞めるにあたって後任に誘われる。そもそも中島は学校法人を経営する一家に生まれたものの、優秀な兄と比べられ、父から疎まれてきたため、基本的に人間不信なキャラクターだ。筧の後任として高校の音楽教師になる中島。筧になついていた生徒(吉川)と接するうちに、お互い親とうまくいっていない共通項から、次第に心を通わせることに。
このドラマは、純愛とうたいながらもドロドロの恋愛怨恨サスペンス。殺人事件やブラック企業などの要素も盛り込みつつ、テンポのいい展開で話題を呼んでいる。
物語はさておき、靖子が気になる。靖子演じる母は、夫に逃げられたシングルマザー。娘にべったりとまとわりつき、詮索して監視して干渉する。仮病を使って「お母さん死んじゃうかも……」とLINEを送り、学校を早退してかけつけた娘に「ケーキでも食べに行こうよー」とねだる。
「いや、もう、相手にすんなや!」と思っちゃうほど面倒臭い。しかも、娘の話を一秒も聞かない。問い詰めるとキレて皿を床に叩き落したりして。はい、もうここでオンナアラート発動です。「そんな母なら捨てちゃいな!」だよ。
靖子は夜の仕事をしていたが、とにかく男にだらしがなく、しかも男を見る目がない。持論は「いい男を見つければ全部うまくいく」である。
しかしだな、「女の人生は男の選択で決まる」と豪語する割に、クズばかり掴んでくるわけよ。
娘が必死でためてきた貯金79万円を勝手におろして男に貢いだり、娘の誕生日を覚えていないどころか、入学式などの行事も男とデートするためにドタキャンやすっぽかしが当たり前。別に、母は恋愛をするな、というわけではない。クズ男に貢ぐ頭の悪さと良心の欠如が問題なのだ。
それだけでは終わらない。指定校推薦で大学に行けるほど優秀な娘の進学希望に対しても難癖をつける。「大学に行くより大切なことがたくさんある。誰かのためにお料理したり、家をきれいにしたり、そういう小さな幸せを大切にすること」と娘の希望を潰し、「どんな時代でも女はひとりでは幸せになんてなれないの」と暴言を吐く。完全に間違った前近代的な人生観をぐいぐい押し付け、娘の自立を阻むのだ。
さらには、中島と吉川の夜の密会に対して、クレーマーとして学校の職員室に乗り込む靖子。白い日傘をさして、ルンルンランランと鼻歌を歌いながら。もう絵ヅラとしても「やべえ」。
靖子が時折見せる真顔と笑顔は、不協和音の舞台装置として十分。乗り込んでいって、娘が密かに書いていた小説をばらまき、中島を糾弾する。もういろいろと間違っていて、とっちらかったまま爆走する靖子。
逆に、中島からは「こんなの母親のすることじゃない。あんたは母親を武器にしているだけだ」「娘を所有物とでも思ってるんだろう? 今あんたができることはひとつ。さっさと娘を解放してやれ!」と反撃される始末。結果、吉川に「毒母からの卒業と自立」の決意をさせるという展開になった。
つまりは、(1)過干渉、自立を阻む支配 (2)金にも男にもだらしない体質 (3)娘の教育の機会を奪うという、すべての毒母要素をコンプリートしているのが靖子であり、ハイブリッドな毒母なのだ(盛り込みすぎて、もはや滑稽の域に達しているとも言える)。
ここまでが2話。そして第3話ではいきなり5年もの時が流れている。吉川は無事に毒母のもとを逃げ出して、シェアハウスに住んでいるようだ。あれ? 靖子、もう終わり!?
そんなはずがない。おそらく今後、再び靖子が来りてホラを吹き、嵐を呼び、搾取や略奪をしていくであろうと予測できる。愛とか絆とか恩で、いとも簡単に毒母の毒を抜けるはずもない。真の意味で、毒母からの卒業を描いてくれるだろうと信じている。
吉田 潮(よしだ・うしお)
1972年生まれ、千葉県船橋市出身。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。また、雑誌や新聞など連載を担当し、著書に『幸せな離婚』(生活文化出版)、『くさらないイケメン図鑑』(河出書房新社)、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)などがある。