番組制作のセオリーを次々と壊していくと……
「旅番組って、何々駅に着きましたね、ここは何が美味しいんでしょうね。どんなお店があるんでしょうね、ってみんなやるけど、これの何が面白いんだろうと。観光地に行って長々と説明してもね、それは視聴者が自分で行って知ればいいことだから。
旅って観光地が面白いんじゃなくて、そこに行く道中のトークだったり、誰かが電車に乗り遅れたり、ハプニングが面白いんだと。そういう確信が僕らにはあったんですよ」(藤村さん)
それ以降シリーズ化したサイコロの旅、オーストラリアやヨーロッパをレンタカーで巡る旅、日本列島やベトナムを原付で走破する旅、四国八十八カ所巡りの旅などなど、4人は日本と世界を股にかけた過酷でコミカルでドラマチックな旅を続けていく。
ちなみに『水曜どうでしょう』の企画会議は鈴井さん、藤村さん、嬉野さんの3人で行い、大泉さんだけがどこに行って何をするかを撮影当日まで知らされておらず、彼が集合場所で企画発表を聞いて視聴者と一緒に驚くところから旅がスタートするのである。不意打ちで海外に行くこともあるため、一時は大泉さんのパスポートをHTBが預かっていたという。
それまでローカル局の番組は放送圏内の情報を取材して紹介するというのがセオリーだったが、それを壊したのも『水曜どうでしょう』だった。
「僕らはそんなセオリーには乗らない。でも金がないからキー局と同じこともできないという中で、独自のものをやっていったというところですかね。
当時、ローカル深夜番組で海外ロケなんて、誰も考えてもいなかった。でも地方の予算でも行けるんですよ。格安航空券で4人でオーストラリア行って向こうでレンタカーを借りて縦断するって、2か月分くらいの予算さえあれば行けるんだもん。
海外で飛び込みで宿を探すなんて、テレビだと常識から外れてるっていうけど、みんな当たり前にやってることじゃないですか。それでまんまとね、地図も買ってないしガイドもいないから、思いどおりハプニングだらけなんですよ。しめしめという感じでしたね」(藤村さん)
HTBでは藤村さんの1年先輩で、後に『水曜どうでしょう』のプロデューサーとなった福屋渉さんは言う。
「あれは発明に近い番組でした。大泉さんとの出会いは奇跡的でしたけど、予算とテレビの慣習にとらわれないで、面白いことだけを集中して行ったらどうなるのかを突き詰めた結果、誰も見たことがないテレビ番組ができたんだと思います」
福屋さんは、彼らがテレビ業界の暗黙のルールを破る違反を3つ、確信犯的にやっていたと振り返る。
「1つ目は家庭用ビデオカメラの映像を放送に乗せるということ。2つ目は当時のタブーだった同ポジ(同じ構図で時間の違う絵をつなぐこと)を平気でやったこと。3つ目はディレクターが自分でナレーションを入れ、そしてついにはロケ中に平気でしゃべり出したこと。
1回のロケに行き何週放送するか出来高制で決めるというのも当時はありえなかった。今のYouTuberがやっているのと同じようなことを26年前に彼らは始めたんですよ」(福屋さん)
藤村さんと大泉さんの笑いながら激しく罵り合うトークはもはや『水曜どうでしょう』の日常風景。普段、「藤村くん」「大泉さん」と呼び合っているが、エスカレートすると「あんたさぁ、いいかげんにしろよ」「おまえがバカだからいけねぇんだろ」などと罵り合いに発展していく。