親友が絶賛する「観察力」
今はコメディ漬けの生活を送るSakuさんだが、10代までは野球ひと筋で、いつかメジャーリーガーになることを夢見ていた。
Sakuさんが生まれ育ったのは奈良県明日香村。高校で国語教諭をしていた父、服飾デザイナーの母、年が離れた3人の姉がいる。父は野球部の監督もしており、Sakuさんは英才教育を受けた。
「3歳のとき父親にバットを持たされたのが最初の記憶です。むちゃくちゃ厳しくて、親父が外角高めとかコースを投げ分けてくる球を、何球ずつかヒットにしないと帰れない。ツラかったけど、いいプレーをすれば気持ちいいし、その先に成功体験があるということを知ることができたのでよかったかな」
家ではコメディ映画をよく見ていた。コメディ俳優のジム・キャリーが大好きで、日本語吹き替え版のセリフを全部覚えたほどだ。漫画やゲームは「想像力がなくなるから」と禁止。父からのプレゼントは、いつも本だった。
「開高健とか坂口安吾をポンと渡されて。小学生だった僕は渋いなと思いながら読んで要約する。それに父が赤ペンを入れて、書き直さないと遊びにも行けなかった(笑)」
中高一貫校の桐朋中学に入学し、上京した。野球の強豪校は関西にも多数あるが、文武両道で甲子園を目指せる学校を自分で探したという。ポジションはショートで4番。中高で主将を務めた。
野球部の同期で親友の初馬眞人さん(30)は、Sakuさんのことを、「かなりやんちゃだった」と証言する。
「朔は野球が本当に上手だったからキャプテンになったけど、中学時代は好き放題やってましたよ(笑)。練習前に全員やるはずのランニングを、あいつがやっているのは1回も見たことがないし、グラウンド整備は先輩にやらせていたし(笑)。
それが変わったのは高校で先輩が引退した後からですね。練習も熱心に取り組んで、高3の夏の試合前日には毎回長めのメールを送ってきて、最後に必ず『裸で行こうや』と書いてある。みんなでなんやこれと笑いながら、頑張ろうと一丸になれた記憶があります」
練習が終わるとSakuさんは監督のモノマネをして部員たちを笑わせていた。学園祭のときは1人で舞台に立ち、全校生徒を笑いの渦に巻き込んだと初馬さんは話す。
「廊下を直角に曲がる先生とか今にも死にそうな声の先生のモノマネをして大爆笑でした。本当によく見てるなーと。朔はいまだに中高時代のことを細かいことまで覚えていて、話のひとつひとつが面白い。観察力がすごいんだと思います。周りの人をいじってネタにするのは、そのころから上手でしたね」