自他共に認める大の子煩悩。溺愛すると同時に人として大切なことを身をもって伝えてきた。

高齢になってからできた子どもだったので、きょうだいをつくってあげられない。奥さんと相談して、女の子がひとりで生きていくうえで困らないよう、常識と学力はきちんと身につけさせてあげようと決めました。

 子どもが生まれて僕が最初にしたのは、車が通っていなくても赤信号のときは絶対に渡らないということ。ルールですから当たり前のことなんですよね。僕は子育てに関しては常識的に取り組んでいかなければと思い、実際そこは守ってきたつもりです」

バラエティーは家族で取り組む

 5年前の父の大病は、当時高校生だった娘にとっても転機になった。医学の道を志し、今春大学院へ進学。「娘はわが家の誇り」と笑顔をみせる。

「もともと医療に興味はあったようですが、父親の手術に直面し、そこで病院の先生や看護師さんたちが人を救う様子を間近で見聞きしたことが、決断のきっけになったのかもしれません。小学校から持ち上がりの私立の学校に通っていたけれど、医療の道に進むとなるとまた改めてたくさん勉強しなければいけない。

 娘から話を聞いたとき“大変だよ、大丈夫?”と言ったけど、揺るがなかった。実際ずっと勉強していますね。親の僕のほうが“もっと遊んでいいよ”なんて言ってるくらい(笑)」

 音楽活動と並行し、53歳でバラエティーに進出。一部から“仕事を選べ”“仕事がなくなったのか”などと揶揄されたこともあったが、そこで救いになったのもやはり家族の言葉だったという。

家族は僕が出る番組をすべて欠かさずチェックしていて、ありがたいことに“パパがすることは全部面白い!”と言ってくれています。バラエティーに出だしたころは“よくこんなことやってられるな”なんて言われもしたけれど、娘が“そういうアンチは気にしなくていいよ”と言ってくれて。

 バラエティーというのは幅広い知識が必要になるけれど、ウチには若者代表と主婦代表がいるので2人にいつもすごく助けられています。今やバラエティーは家族みんなで取り組んでいる感じ。例えば娘に最新のトレンド情報を教えてもらったり、大戸屋の特集に出るから予習しようと家族で一緒に食べに行ったり。もはやひとつのチームです(笑)」

 昨今は自らお笑い芸人とのコラボイベントも企画し、活躍の幅はより広がった。さらに盆踊りイベントやキッチンカーのプロデュースを手がけるなど、精力的な活動が続く。

病気をする前は“DJなんだからそこまでしなくていいんじゃない?”という気持ちも正直どこかにありました。でも今は“何でも気兼ねせず言って。みんなで新しいことをしようよ!”という感覚になってる。

 結果として新しい人や世界とつながることも増えました。やりたいことはまだまだあって、例えばパン好きなのでパンフェスも開催したい。美味しいパンを集めて、DJイベントで盛り上がって、芸人さんを呼んでお笑いをしてもらうのもいいですね。踊って、笑って、美味しいものをたくさん食べて……、絶対に元気が出るじゃないですか