名将?愚将?極端に別れる岡田監督の評価
岡田氏の監督としての評価は賛否両論で極端に分かれている。
それも阪神時代は1年目の4位をのぞき2年目の優勝を含め全てAクラスだったのに対し、オリックス時代は3年間で2011年の4位が最高位で最後の年は最下位。
若い野球ファンにとっては2005年の阪神優勝は遠い過去の話で、最下位に終わったオリックス時代の方が記憶に残っており、さらに阪神時代でも「投手を連投させて使い潰した」「ドラフトのくじ運が悪すぎた」などの成果よりもネガティブな部分が取り沙汰されているせいかもしれない。
「岡田が監督になったら阪神ファンやめる」「矢野監督時代のようなコミュニケーションなさそう」など、阪神ファンも真二つに割れている。
岡田氏自身は著書「なぜ阪神はV字回復したのか?」(角川書店)でオリックスの3年間の教訓はと聞かれれば、「別に、なんもないわ」とまた例の「どんコメ」で返しながらも、「その中でも一番思い知ったことは、フロントとコーチ、選手というチームの組織 に関わる人間全員が、 ひとつの方向を向いていなければ勝てないということ。 チームモチベーションが、勝利のためには、 いかに重要かという“ 勝つ組織の論理” を学ばせてもらった。」と述べている。
阪神監督時代にレギュラーで活躍した選手の多くが、2軍監督時代に自身が育成した選手だった。阪神では二軍との連携がとれていたが、オリックスでは二軍とのコミュニケーションがうまくいかず改善されることはなかったという。
チーム全体の組織のあり方の改善をフロントに提言しても、受け入れられることはなかったようだ。
不振の原因はもう一つ、彼の「どん語」の理解者が少なかったからではないか。山田勝彦氏や福間納氏という阪神出身者もいたが、岡田氏のオリックス監督時代の1軍コーチ陣はパ・リーグ出身者がほとんどだった。
前述の中西氏は岡田氏を「本音と建前があったら、本音しかない人。絶対に軸をぶらさない」と称し、絶大な信頼を置いている。
しかし、入団時の発言と同じように、言葉足らずで誤解を招いて、ムダに敵を作ったり真意が伝わらなかったりしたことも多かっただろう。岡田氏には、岡田氏の言葉をくみ取って他の人に翻訳してくれる人物が不可欠のようにみえる。
岡田氏就任に当たって、二軍監督だった平田氏がヘッドコーチに就任、今岡氏、関本氏の入閣も検討されているとの報道があった。
岡田氏の使命は優勝もさることながら、選手の育成と同時に指導者の育成にもある。球団も長期的な視野を持って岡田新監督の采配を見守る必要がありそうだ。