映画誌で山での生活について語った東出昌大。彼の今の生活ぶりを取材すべく、9月下旬に現地を訪れ直撃すると、
「臆測で書かれたくない」
と、インタビューを受けてくれることに。第1弾では伝えきれなかったワイルドすぎる“自給自足”生活に迫る─。
「生きている実感みたいなものがあるように思います」
今春から始めた山小屋での生活。仕事で東京や地方に滞在するとき以外は、ガスも水道もなく携帯の電波も届かないこの地が、彼の生活拠点だ。
「山だと、とにかく自分が動かないといけない」
狩猟に向かうときには、道なき道を行く。ケガをしないように万全の準備と下調べをして山へと向かうが、そこには安全・安心のうえに成り立っている文明の生活はない。だが、そんな瞬間に“生きている”と思えるのだという。
「システムの中で守られているという状態が、もしかしたら僕は窮屈に感じてしまうのかも。同じような思いをされている方が、読者の中にもいるかもしれませんね。余暇といっても何をするでもなく、ネットを見て情報の波に溺れたり。自分が幸せなのかどうかも、生活水準や他者との比較で、相対的に評価してしまったり……。でも山だと、とにかく自分が動かないといけないんです。食料をとってくるとか、寒ければ火をおこすとか。そうやって身体を動かしていると、思索にふける時間が自分の中で生まれてくるんですよね」
便利な都会とは正反対の、全部自分でやらなくてはならない生活は、最初は大変だったのではないだろうか。
「そんなことないですよ。もともとアウトドアは好きだったんですけど、狩猟免許を取って1人で山に行くようになったら、最初からすごく楽しくて。山の中で焚き火をしたり、野営をしたり。始めたころから今に至るまで、ずっと変わらずに楽しいです」
“単独忍び”という方法で狩りを行うだけに、獲物を運ぶのも1人だが、決めているマイルールがあるという。
「“しんどい”とは言わないようにしています。殺しておいて、重いとか肩が痛いとか言っていたら、言霊のように自分の中に残ると思うんですよね。獲物に対しても申し訳ないし。だから、そのときばかりはすごく頑張りますね」
と、まっすぐな眼差しで記者を見つめる。命に対する彼の哲学が伝わってくるような言葉だった。