音楽に打ち込む充実した学生生活を過ごすも、あっという間に就職活動を考える時期に。周りは次々内定を決めていく。波にのまれるように就職活動を始め、唯一不動産会社から内定を得た。世はバブル景気に沸き、不動産業に未来も感じた。
だが母の言葉が人生を変えた。
「“音楽をやりたいから東京に出たんじゃないの? 何で不動産なの?”と母に言われて。大学まで出してもらって就職しないのも申し訳ないと思っていたけれど、じゃあ思い切ってチャレンジさせて貰おうと決心しました」
内定先に「音楽をやりたいから」と辞退の意思を伝えた。するとほどなくして池田聡から直々に声がかかり、コンサートツアーへの参加が決まる。
「池田さんいわく、僕の友人から“圭三が就職を取り消した。音楽をやりたいと言っている。そんな気持ちにしたのはあなただ、責任をとれ”と責められたとのことでした(笑)」
大学在学中にコーラスメンバーとしてコンサートツアーに同行し、卒業後は現場で知り合ったプロデューサーのもと曲作りの修業を始めている。
「“おまえは将来何になりたいんだ”と聞かれ、“池田さんのように歌を歌って曲も書けるようになりたい”と宣言しました。でも大学時代に2曲書いたことがあるだけ(笑)。デモテープを作ろうにもどうしたらいいかわからなくて」
大学時代のバンド仲間であり、現在作・編曲家の小西貴雄に助けを請い、一緒にデモテープを作っては毎週のように曲を持ち込んだ。
'90年代を代表するヒットメーカーへ
初めて曲が採用されたのは中山美穂のアルバム。自身のデビュー前で、作曲家としてまずキャリアをスタートさせている。
1991年『Choo Choo TRAIN』はZOOの4枚目のシングルで、デビューシングル、3rdシングルに続く3度目の提供楽曲だった。
「“今度ZOOというグループがデビューするから曲を書いてみないか”と言われたのがお付き合いの始まりでした。
『Choo Choo TRAIN』があそこまでヒットするとは思ってもみませんでしたね。「JR SKI SKI」のCMソングにもなって、あちこちから曲が流れてきたけれど、当時はまだどこか人ごとのような感覚がありました」
翌年1月、『Woman』をリリース。自身3枚目のシングルで、「カメリア ダイヤモンド」のCMソングに採用された。楽曲は日本レコード大賞作曲賞を受賞し、その年初めてシンガーとしてNHK紅白歌合戦に出場している。