眞子さんは、約1億4千万円の一時金を受け取らず、いっさいの儀式を行わずに“類例を見ない”結婚を果たした。
国民の理解と納得を得られたとは言い難く、昨年11月に行われた秋篠宮さまの誕生日会見では「皇族としての『公』と一個人としての『私』など皇族のあるべき姿が議論されましたが、殿下はどのようにお考えですか?」と、質問されるひと幕も。
私生活を充実させるために公務を?
これに対し、秋篠宮さまは「一連の娘の結婚のことが、うまく公と私に当てはまるのか」と反論し、こう続けられた。
「彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものとの場合には、常に公的なものを優先してきていると私は思います。これは海外の訪問も含めてですね」
それまで公務に励まれた眞子さんが仮に『私』を優先させているということになれば、「20年たっても結婚はできない」とも付け加えられた。
「殿下は、記者が尋ねていないにもかかわらず、女性皇族が男性皇族と異なり皇室会議を経ずに結婚できることに触れ、“その点でも公と私は格が違ってくる”とも述べられました。女性皇族は『私』が優先されてしかるべきだと念押しされたかったのでしょう。
『皇嗣』としてよりも1人の父親としての思いが前面に出た“迷言”だと受け止めた人は少なくなかった……。ただ、皇籍離脱を夢見る佳子さまが、このご発言にすがりたくなるお気持ちも理解できます」(前出・宮内庁関係者)
“公と私”に対する秋篠宮さまのご発言が、佳子さまが公務をこなされる意欲の源なのかもしれない。しかし、前出の小田部教授は疑問を呈する。
「皇室の『公』とは、国民の象徴としてふさわしい“公的な存在”という意味で、欧州貴族の『ノブレス・オブリージュ』に似ています。皇室の権威の源泉は、私生活でも国民の象徴としてふさわしい振る舞いが求められること。公務さえやっていれば、私生活が自由になるというわけではありません。ましてや公務の目的が、私生活を充実させるためなのであれば、国民から皇室への崇敬は損なわれていくと思います」
父の言葉と国民の願いを胸に、佳子さまは今日も公務に邁進される─。
小田部雄次 静岡福祉大学名誉教授。日本近現代史皇室史を専門とし、『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)など著書多数