“私はオープンして一ヶ月経ってから入ったんですが、そのときにはもう福神漬をつけていましたね、だから、四月にオープンしたときから、カレーに福神漬をつけると決まっていたんでしょうね。小林先生が洋行から帰ってきて、そうするように言われたと聞いています”
開店直後に入社したコックの証言です。
番組によると、1929(昭和4)年にオープンした阪急百貨店の名物はカレー。1日に13000食という大量のカレーを販売しました。
日本郵船かどうかは不明ですが、外国航路に乗って福神漬をカレーにつける習慣を知った小林一三が、その習慣を阪急百貨店に持ち込み、阪急百貨店を経由して全国に習慣が広まった、というのが番組の結論です。
ところがこの話、事実ではないのです。
小林一三が初めて外国に旅立ったのは1935(昭和10)年9月(小林一三『次に来るもの』、阪急電鉄編『小林一三日記 第一巻』)。阪急百貨店開店時の1929年において、小林一三は外国航路に乗ったことがなかったのです。
確かに、阪急百貨店のカレーには福神漬がついていました。しかしそれは、外国航路の習慣をまねたものではありませんでした。まったく別の理由でつけられていたのです。
ライスのみ注文する客に福神漬を多く盛った
名経営者・小林一三にはさまざまな逸話がありますが、中でも有名な逸話が「ソーライス」です。
阪急百貨店が開店した年は、アメリカに発した大恐慌が世界を覆っていった年。阪急百貨店食堂の客の中には、お金がないためライスだけを注文する人もいました。卓上のソースと、ライスに添えられた福神漬のみで、食事を済ましていたのです。
小林一三と知り合いだった作家・水上滝太郎によると、小林はそんな客を嫌がることはなかったそうです。
“私共は八階の方へ行き、ビフステーキ二十錢、米飯に福神漬をそへたのが五錢、冷珈琲五錢、合計三十錢で滿腹した”
“山名氏の談によれば、ライス・オンリイといふ註文をして、それにソオスをかけて喰ふのもゐるといふ。しかも此のライス・オンリイをいやがらず、さふいふ客には飯も漬物もかへつて多く盛つて出すといふ話だ。いかにも小林式で感服した”(『水上滝太郎全集 十二巻』より1933(昭和8)6月16日の日記)
小林一三は、ライス・オンリイの客に対し、ご飯も福神漬も普通よりも多く盛って出し、歓迎したのです。