クラスメートとは話が噛み合わず、親しい友達は1人もできず、当時を「何も楽しいことがなかった。何もうまくいかなかった」と振り返る。

 ADHDの中には集団生活になじめずにうつ病や不登校、ひきこもりになるケースも多い。しかし彼の場合は両親の存在が大きな救いになった。

女性社員が涙を流した出来事

「両親は僕が何をしても“おまえは天才だ!”と感動してくれて、小さいころから“素晴らしい!”と称賛されまくって育ってきました。褒められるのに慣れすぎていて、だから打たれ弱いんですよね(笑)」

 学校の中では叱責された言動も、ひとたび家に帰ると手放しで受け入れられた。おかげで自己肯定感は失われずに済んだが、実は両親にもADHDの傾向があると話す。

「衝動的で、ひとたび何かに興味を持つと、それに集中してしまうのがADHD。うちは父も母もそうで、家族で出かけると“あれ面白そう!”“行ってみよう!”と後先考えず行動するのでよくみんなで迷子になりました。僕も新婚旅行先の海外で何度もいなくなって、その場で妻に“別れよう”と言われました(笑)」

 空気が読めず、どこにいても浮いてしまう。率直な物言いが相手の怒りを買うことも度々あった。大学時代はすべてのアルバイト先でクビを言い渡された。大学卒業後は新卒でNTT東日本に入社。営業マンとして働き出すも、「この会議に何の意味があるんですか?」と社会人らしからぬ言動の連続で失態を重ねた。

「話すことが大好き」という武田双雲。インタピューのときも面白いエピソードが止まらない
「話すことが大好き」という武田双雲。インタピューのときも面白いエピソードが止まらない
【写真】幼少期から現在まで、ADHDの経験を語る書道家・武田双雲

「上司にはきちんとしろと怒られるし、毎日すごくつらかった」と双雲。周囲の冷ややかな視線に晒され、次第に身体に変調を来していく。

「通勤電車に乗るとお腹を壊すようになって、始発電車に乗ったけどそれでもダメで、会社の近くにぼろアパートを借りました。どうにかモチベーションを上げようと、高級スーツを買ってみたりと、いろいろ工夫をしていましたね」

 あるとき和紙に毛筆で言づけを書いて渡すと、「キレイな字!」と社内で評判になった。少しでも会社時間が楽しくなればとの遊び心だったが、ひとりの女性社員が「初めて自分の名前が好きになれた」と涙を流して喜んだ。