「浅野選手は地元である三重県の四日市中央工業高校に進みます。これまでに数十人のプロサッカー選手を輩出している強豪校ですが、公立のため学費補助などの特待生制度などはありません。全国レベルの強豪校とあれば、毎週末のように遠征があり、その費用も部員の各家庭に響いてきます。そのうえ自分は兄弟の多い大家族ということで、強豪校には進めないと考えていました」(前出・サッカーライター、以下同)
家から近い“普通”の高校への進学を考えていた。しかし小学生からの夢である『プロサッカー選手』を目指すためには、“普通”では難しい。そこに強豪・四日市中央工業高校のサッカー部顧問が浅野を説得に訪れた。
「サッカー部の監督に、“高校3年間は両親に苦労をかけてしまうけど、プロになって恩返しすればいい”と説得されたのです。そこからは浅野選手の意識として“プロ”以外の選択肢は消えたそうです。三笘薫選手など近年は大学卒業後にプロになり日本代表で活躍する選手も増えていますが、“大学に進めばさらに両親に苦労をかける”、“プロとして活躍するのを待たせる”と選択外だったそうです」
高校では2年生でレギュラーを獲得。全国高校サッカー選手権では大会得点王にも輝き、プロの道が開いた。'13年にサンフレッチェに広島に入団。サンフレッチェからプロ入りのオファーをもらった際の感情は、喜びではなく、安心。「ほっとした」だったという浅野。晴れてJリーガーとなってから、“恩返し”である両親への仕送りは今も続いているという。
今も続ける兄弟への支援
「家族への支援はそれだけではありません。高校のあった四日市市にお兄さんを店長とした高級食パンの専門店を自身がオーナーの形で経営しています。さらにいちばん下の弟である快斗さんもサッカーをやっており浅野選手と同じく四日市中央工業高校に進学。その後ドイツにサッカー留学をしているのですが、その資金も援助しています。現在は兄と同じドイツの5部リーグでプレーしています」
直前までケガに苦しんでいた浅野。ドイツ戦後に取材に応じ、批判の声などがあったことに対し、次のように話している。
「それでも僕を信じてくれてきた人のために僕は準備してきました」
浅野の“恩返し”は、家族だけでなく、日本を歓喜に導いた。