次に「サウンドへの強烈なこだわり」。雑誌『FLASH』2022年11月29日・12月6日号の中森明菜特集記事は、貴重な情報が目白押しだったが、その中で、実験的な作風の問題作だったアルバム『不思議』(1986年)の制作過程について語られている。サウンドの細部にまでこだわる、彼女の音楽家としての側面がよく表れているので、少し長くなるが引用する。
――明菜は自分のボーカルに深いリバーブをかけるよう要求した。(中略)明菜が手本にしたのはイギリスのロックバンド「コクトー・ツインズ」。(中略)本作はオリコン初登場1位を記録。作品に対する評価は高かったが、藤倉(註:担当ディレクター)の不安は的中した。「歌が聴こえない。これは不良品ではないのか?」。発売元のワーナーには苦情の電話が殺到した。
次に「歌手としての自信」。川原伸司『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』(シンコーミュージック・エンタテイメント)に記された『二人静-「天河伝説殺人事件」より』(1991年)のレコーディング風景(川原は同曲のプロデューサー)。
――スタジオで明菜さんに「じゃあ唄ってください」と伝えたら、「いまから3通り唄いますから、どの唄い方が好きか決めてください」……「やるな」と思いましたね。
対して、作詞家の松本隆が負けじと、「今のは全部いいけど、もう1テイクだけ、桜吹雪の中にいるような幻想的なイメージで唄って」と要求、中森明菜はさらにいいテイクを残したというのだが、このヒリヒリするようなエピソードは、彼女の持つ、歌手としての強烈な自信を感じさせる。
最後は「『素人』的な音楽への嫌悪」について。『SMART FLASH』(2022年11月22日)の記事より。80年代中盤、素人っぽさで人気となったおニャン子クラブ、その中でも最も企画性・素人性の高い「ニャンギラス」(立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子)が、中森明菜と同じレコード会社だったことにまつわるエピソードについて、「音楽関係者」の弁。
――「明菜さんは、テレビ局の歌番組で『ニャンギラス』と居合わせた際、担当のワーナーの社員に対して『自分たちが世界の3大レーベルにいるという自負はないの? 恥ずかしくないの?』と、強い口調で叱責していました」
中森明菜が渇望される理由
以上、「令和4年の中森明菜ブーム」について考察してきたが、今、中森明菜が渇望される理由を一言で言えば「プロフェッショナリズム」ということに尽きると思う。
それは、サブスクやTikTokで音楽が「ぼーっと聴き流される」「ネタとして使われる」時代へのアンチとしてのプロフェッショナリズム。
そしてそれは、コロナ禍や景気後退、政治不信……という陰鬱で疲労感の高まる時代に合致したプロフェッショナリズム。
だから「令和4年の中森明菜ブーム」は、まだ終わりそうにない。だから中森明菜は――かつて愛された日を もう一度取り戻せるわ(『水に挿した花』1990年)
スージー鈴木(すーじー すずき)
Suzie Suzuki 評論家
音楽評論家・野球評論家。歌謡曲からテレビドラマ、映画や野球など数多くのコンテンツをカバーする。著書に『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『1984年の歌謡曲』(イースト・プレス)、『1979年の歌謡曲』『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』(ともに彩流社)。連載は『週刊ベースボール』「水道橋博士のメルマ旬報」「Re:minder」、東京スポーツなど。