hideが自死をした前日のこと
hideはソロ活動を始めており、'96年にレーベルを設立。'97年にX JAPANが解散し、音楽以外にも活動の幅を広げていた。
「原宿に複合ビルを作って、音楽レーベルとアパレルショップ、ヘアサロンを開きました。自分のバンドをやりながら社長業もやって。アルバムのジャケットも自分でデザインして、できあがったら店に持ってきてくれました。当時はまだ、1人でいろいろやる人はあまりいませんでしたから、すごい才能だと思いましたけど、頭の中はぐちゃぐちゃだったんでしょうね」
多忙な生活が、悲劇を生んだのかもしれない。
'98年5月1日、音楽番組の収録を終えたhideは、メンバーやスタッフと一緒に店を訪れていた。
「10人ぐらいでワイワイ飲んで、そんな酔っ払っている感じでもなかった。でも、時間が深くなって、何か意見がぶつかったのか、メンバーと怒鳴り合いを始めて……」
店を飛び出したhide。しばらくして戻ってきたが、表情は暗いまま。門野さんと店の外で話をすると、子どものように泣きじゃくった。
「アーティストと社長業の両立は難しいと思っていたので、私は“やっぱり両方は無理だよ”と言いました。彼はメンバーと対等なバンドにしたかったけど、メンバーはあくまでhideのサポートという意識で、その“ボタンの掛け違い”はあったんでしょう。“両極端な仕事を完璧にこなすのは誰だって難しいよ”と言って慰めましたが、ずっと泣いていました」
翌朝、hideは自宅で首をつった状態で発見された。病院に運ばれたものの、死亡が確認された。
「僕のせいだって思いました。僕がもうちょっと、付き合ってあげられたら、こんなことにならなかったと……。あのとき、どっかに飲みに連れていけば、ちょっとは違っていたはずだと、後悔の気持ちがあるんです」
死の原因は、今もわからないが、振り返るだけでなく、前を向く必要がある。
「僕は、このレッドシューズという店に育てられた部分が大きいので、店を続けることで、次の世代につないでいきたい。ロックにこだわって、やれるだけやっていきたい」
尾崎やhideも、そう願っているはずだ(敬称略)。