刑事ドラマの終焉とバラエティ全盛時代の幕開け

 渡辺さんが「太陽にほえろ!」を降板した翌年の86年5月、ボス・石原さんは再び病に侵され長期離脱を余儀なくされた。復帰を果たしたが、また体調が悪化し、ボスの降板と共に「太陽にほえろ!」は終了した。

 翌87年、7月石原さんは肝臓がんで52歳の若さで亡くなっている。石原さんは亡くなるまで渡辺さんの暴飲暴食を心配していたという。

「太陽にほえろ!」の終了と共にアクション刑事ドラマ時代は終わり、2時間ドラマ全盛時代を迎える。渡辺さんは活動を80年代末から、活躍の場をドラマからバラエティ番組に移していった。

 石原さんの甥であり1984年から「太陽」でマイコン刑事として渡辺さんと共演していた石原良純さんは、5日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)で、「新劇俳優としての経験がこれから活かされるときだったのにもったいない」とその才能を惜しんだ。その上で「太陽にほえろ!」が放送開始50周年を迎えた今年に関係者の集まりがあったが、渡辺さんは参加しなかったと語った。普段明るい渡辺さんが、体調が悪いことを心配されるのを気遣ったからではないかと推測していた。

止められなかった食欲

 渡辺さんのオフィシャルブログ「そこのけそこのけわたなべとおる」でも、ブログのネタは演劇と家族と食べ物。

 大病を経て食事制限をしていたにせよ、やはり「食べ物」への関心は忘れなかったようだ。思いっきり食べられる息子達を「うらやましい」と語っている。

 岡田プロデューサーは、「太陽にほえろ!」の回顧録でラガー刑事が活躍した時期を「ユーモア刑事の時代」と名づけている。渡辺さんは、テレビの比重がドラマからバラエティへ傾いていくときに現れた時代に愛されたスターだった。