ひばりさんが大賞を逃したと思われる理由はほかにもある。審査員の一部が賞の集中を避けようとした可能性がある。

「どの審査員も出来れば1つのレコード会社や芸能プロダクションに賞を集中してほしくない。ところが、あの年はひばりさんが所属していたレコード会社の日本コロムビアに賞が集中してしまった」(同・元スポーツ紙音楽担当記者)

 歌手が一番喜ぶとされる最優秀歌唱賞は『風の盆恋歌』石川さゆり(64)、一生に1回しか得る機会のない最優秀新人賞には『ふりむけばヨコハマ』マルシア(53)、新設されたばかりの美空ひばり賞には松原のぶえ(61)がそれぞれ選ばれた。いずれも日本コロムビアだった。このため審査員の一部が「大賞は別のレコード会社の歌手で」と考えたのではないかという指摘が当時からある。

 公平な審査は音楽賞の生命線。とはいえ、その仕組み作りは簡単ではない。レコ大は何度も審査改革を繰り返し、1990年代には視聴者の電話投票も採り入れたが、これも組織票が疑われ、廃止された。現在は新聞、スポーツ紙、通信社の音楽担当記者を中心とする約20人で審査を行っている。

レコ大と紅白の視聴率事情

 レコ大はひばりさんが大賞を獲れなかった年から視聴率の下落が始まった。この年からNHKの『紅白歌合戦』が2部制になったことが最大の理由だ。午後9時からだった紅白が、第1部は同7時20分スタートになったため、同6時半から9時までのレコ大と両方観ることが出来なくなった。

 このため、ひばりさんが大賞を逸したレコ大の世帯視聴率は14.0%。光GENGIが『パラダイス銀河』で大賞を獲った1988年(第30回)の21.7%から大きく後退した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)

 当時とは1世帯当たりの人数や世帯総数が全く違うため、現在の世帯視聴率とは比較できないが、この年を境にレコ大の低迷が始まったのは間違いない。

 一方、この年は紅白も世帯視聴率を落とす。TBSとの共存路線を自ら放棄しながら、旧来の放送時間帯である午後9時からの第2部は47.0%にとどまり、初めて50%を割った。

 その後もレコ大と紅白もかつての支持は得られず、2005年にはレコ大の世帯視聴率が10.0%まで落ち込む。これを機にレコ大は放送日を現在の12月30日へ変更したが、かつてのような圧倒的な世帯視聴率は得られていない。

 くしくも2つの国民的音楽番組の黄金期は戦後歌謡界の女王・ひばりさんの死とともに終わったのだ。

取材・文/高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立。