アイドルを辞めた王林の夢を本人に聞いてみると
「卒業後は女優やモデルになるのが“成功”の王道パターンでしたが、選択肢が広がっています。飲食店やアパレルブランドの経営者になったり、ホステスになったという子も。アイドルグループ・まねきケチャは今年春に開催される日本武道館公演を最後に3人卒業しますが、メンバーの中川美優さんは麻雀好きで、ソロで麻雀タレントになりたいと言っています。グループの活動をメインとしてやっていると、やりたいことへの一歩が踏み出せないのでしょう」
中川は自宅に“全自動の麻雀卓があるほどの麻雀好き。アイドルたちの”本当にやりたいこと“は多岐に渡る。
‘22年3月にりんご娘を卒業した王林(24)は知事になりたいと発言。りんご娘は青森や農業を応援しようと活動する青森のアイドルグループ。グループ時代にりんごの品種から名付けられた“王林”の名はそのままに、昨年は全国区でブレイクを果たす。王林は「ニフティ温泉年間ランキング2022」記者発表会にアンバサダーとして登場。その際、王林になぜ知事になりたいのか直接聞くと──。
「今までりんご娘のグループとしての目標しかありませんでした。けれど、ひとりになって、何か目標がないとだめだと思って。自分と向き合ったときに、青森県知事にという思いが湧きました。青森県知事とは何度もお会いしたことがあります。とてもパワフルな人で青森のことを思っていて。リスペクトの意味も込めてそんな目標を思いつきました」
王林の“青森への地元愛”はかなり強く、知事になりたいという気持ちも本気度は高いようだ。ソロになって変わったことは?
「一番は東京で過ごすことが多くなったこと。周りにいる人たちもみんな変わりました。小学3年からりんご娘のあるスクールに入って、ずっと同じメンバーと活動していたので、新しい出会いがある反面、寂しいこともあります」(王林、以下同)
ソロになって大ブレイクしている王林だが、一番よかったことは何か。
「ずっとこなすことで精一杯で、立ち止まる時間がなかったのですが、卒業をきっかけに自分と向き合うことができたことです。私は芸能活動がしたいと言うよりは、青森を発信したいんだと改めて思いました。芸能活動を辞めることも考えたのですが、青森のよさを伝える上で、自分ができるのは続けることだと考えました」
青森県外へ行くことが多くなったが、他の地域を見るほどに改めて地元のよさに気づき、自分の軸は青森だと再確認したという。青森の文化を世界に発信したいと思い、グループ卒業後には海外留学を考えたことも。そもそもなぜ卒業したのか。
「私は卒業したくなかったんです。メンバーから新たな目標に向かって進みたいと言う言葉がありました。なんとかこの4人のりんご娘を存続させる道はないか悩みましたが、最終的にはメンバーを応援しようと決めました」
メンバーたちは女優やモデルになりたいと思っても、行動する時間がなかったという。
「今まで長年いた場所を辞めてでも進むという決断と勇気というのはすごいと思います。辞めなくても何か道はあったのかもしれないけど、そこを捨ててでも新たな道へ行くのは素晴らしいことだなと思います」
一緒にやっていくこと、新しい道へ進むこと、どちらの気持ちもわかり、複雑な気持ちだったという。前出の大島氏は王林について、
「名前を残しての卒業。りんご娘という屋号も残すという使命を全うして、辞めても青森の広告塔になるという、素晴らしい姿だと思います」
と称賛する。さらに、数年前と比べアイドル卒業の傾向を考察。
「堂々とは言いませんが、思春期の子ですし単純に遊びたいから、という理由で卒業すること多かったんですよね。学業に専念したいという理由もよくありますが、忙しいのはわかっていたことですし。ただ昨今は、ほかにやりたいことがあったりするなど、明確な理由があることが多い。地下アイドルにしても、センターになれるという夢を叶えるためのものですから」
私たちに夢を与えてくれるアイドルが果たしたい夢ならば、ぜひ応援してあげたいものだ。
ブレーメン大島 フジテレビ『夕やけニャンニャン』で伝説を作り、現在はプロアイドルヲタクとしてイベントプロデュース・ライター・司会などで活動。リングアナウンサーや放送作家としての顔もある。