警察への被害届も受理されず
「“これ以上個人でやれることはない”と思い、警察に被害を訴えましたが、被害届は書かせてもらえず。やむなく刑事告訴をしましたが、警察や検察が取るに足る証拠を提出できず、嫌疑不十分で不起訴に。その後、今回の民事訴訟に至りました。
民事訴訟の途中でしたが、昨年4月のAさんの告発記事を読んで、Aさんも誰かに言ったり理解してもらうことができず、1人で抱えてきたのかもしれないと思い、とても悲しくて苦しい気持ちになりました。写真展を口実に2人きりの撮影に持ち込むことや、そのほかの手口など、酷似している点が多かったので、ほかにも被害者がいるのではないかと思います。
こんなに卑劣な行為を繰り返す人間を許してはいけない。また、私を精神異常者であると、被害妄想でこんなことをでっち上げたのだと言い、あまりにも人を馬鹿にするような態度は到底許せるものではありませんでした」
藤里は裁判で数回にわたって、判決の賠償額よりも高い慰謝料を支払う内容の和解案を提示した。しかし、その案の中でも性加害行為を認める姿勢は見られなかったため、Bさんは、たとえ賠償額が低いものになったとしても、最後まで闘うことを決断していた。
「心はずっとギリギリの状態で、“藤里側の和解提案に応じて、この闘いを終わりにしてしまいたい”と思ったこともありましたが、やっぱり諦めたくなかった。PTSDの治療のため病院に通いながら、家族や友人に助けられながら、なんとかここまで耐えました」
藤里は、自身が主催する写真スクールで「モデルさんにさわる、ふれるのはもってのほか。モデルさんに、触られそうと感じさせてしまう距離にならないように。丁寧に、馴れ馴れしくせず、高圧的にしないように。モデルさんいてくれてこそのポートレート」と指導していたと語っている。それが裁判で、自身の撮影手法との矛盾を指摘されると、「指導と手法は別」と説明していた。
『週刊女性PRIME』は、AさんとBさんの2人以外にも、藤里から同様の被害を受けたという複数名の話を確認している。
Bさんとの裁判中に藤里は、2022年4月の『週刊女性』の報道によって、撮影の仕事がほとんどなくなったことを明かし、「写真家・藤里一郎はすでに存在しない」と語っていた。
立場を利用した卑劣な行為の代償は、その身に重く降りかかる。