子どもが「脱走」する施設の実態
大学卒業の時期を迎え、早川さんは就職先を選ぶことになった。縁あって、ある施設に入職する。
ところが面接を受ける段階で、早くも違和感を抱き始めた。
「それまでに実習先で出会った子どもたちは“誰あんた?実習生?”と聞いてくるような、妙になれなれしい子どもが多かった。
なのにその施設では、みんな三つ編みをきれいに結っていて、“こんにちは”と言って、ちゃんと頭を下げる。不適切な養育環境だったために施設へ来た子どもたちなのに、どうしてこんなに礼儀正しいのか。ちょっと気持ち悪いなと思いましたね」
その施設で早川さんが担当した中に「サッカーをやりたい」という高校1年生の女子がいた。施設では部活を禁止していたが、高校教師がスカウトに来るほど才能があったのだ。そこで、女子生徒の入学した高校のサッカー部顧問が施設長に直談判したところ、部活への参加が許された。
女子生徒は早朝から朝練のため5時に出かけ、帰りは夜8時過ぎ。普通であれば「お帰りなさい。ご飯、できてるよ」と声をかけるところなのだが、施設の主任は、食事の前に女子生徒ひとりで大食堂を掃除するよう命じた。その内容はエスカレートしていき、掃除機をかけるだけでなく雑巾がけまでプラスされた。
見かねた早川さんが女子生徒を手伝うと「手伝ってもらうな」と主任の声が飛ぶ。施設側は、彼女が音をあげて施設から出ていくのを待っているようでさえあった。
それでも女子生徒は早川さんに「50メートル走、また記録が上がったよ」と、うれしそうに報告していた。だが、そんな生活に限界が訪れる。
「夏休みの始めごろで、その日、私は夜勤明けでした。部活に出ていく彼女を見送ろうとしたら、いつもより大きなバッグを抱えて“アディオス”と言って、出ていったんです。どうも様子がおかしい。それっきり、彼女は施設へ帰ってきませんでした」
女子生徒のことだけではない。早川さんは日々、施設のやり方に不満を募らせていった。子どもが学校に行くと、無断で引き出しをチェックして、手紙があれば平気で開封する。体罰は日常茶飯事。知的障害の子どもがパニックになると、床下収納庫に閉じ込める……。人間扱いしていないと、早川さんは憤った。
そんなとき、若手の女性職員が早川さんにこう言った。
「兄さん、悩んでいるんじゃない? 聞いてあげるよ」
爆発寸前だった早川さんは、女性職員に「ここで起きていることはおかしい」とぶちまけたのだ。すると数時間後、主任に呼び出され「ずいぶん言いたい放題、言ってくれたらしいじゃん」と言われた。早川さんは改めて主任に「ここでは子どもの権利がないがしろにされている」と訴えたが、主任は「価値観の相違」と吐き捨てるだけで、聞く耳を持たない。
早川さんは退職を決意したのだった。